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サッカー日本代表の対戦相手と試合会場はどこになるのか ワールドカップは抽選会にも歴史あり (3ページ目)

  • 後藤健生●文 text by Goto Takeo

【日本が出場しないW杯抽選会を生中継】

 さて、1990年のイタリア大会の時にも、僕は抽選会の生中継に出演した。

 日本代表はアジア1次予選でとっくに姿を消していたのに抽選会の生中継が行なわれたのは、プロ化(Jリーグの発足)を前にサッカーへの注目度がそれなりに上がっていたからだろう。

 ちなみに、W杯取材に必要な申請枠が足りなくなって、記者同士での奪い合いが始まったのも1990年大会からだった。

 中継を行なったのは、NHK-BSだった。

 日本でテレビ放送が始まったのは戦後すぐの1953年のこと。初めはNHKと民放の日本テレビだけだった。

 その後、他の民放局も次々と開局。1960年にはカラー放送が始まり、1964年の東京五輪で視聴者数は拡大したが、ずっといわゆる「地上波」による放送だけだった。

 1984年には放送衛星(BS)を使った放送の試験放送が始まった。最初は地上波の総合テレビや教育テレビの難視聴解消対策のための放送だったが、1987年にはBS独自番組の放送が始まり、スポーツもBSの有力コンテンツとなった。さらに、1991年にはWOWOWも放送を開始した。

 その後は、通信衛星を使ったCSも始まり、最近になるとインターネットを使った配信が急激に拡大。この40年ほどで、放送の在り方は大きく変わった。

 1990年というとBS初期である。イタリアW杯自体も地上波だけでなく、BSを使って放映されることになっていたので、NHKとしてはその宣伝を兼ねて抽選会の生中継を行なったのだろう。

 抽選会は1960年ローマ五輪のバスケットボール会場として建設されたローマの「パラッツェット・デッロ・スポルト」という体育館で行なわれた。

 抽選会前には世界的なテノール歌手、ルチャーノ・パヴァロッティが登場してその歌声を聞かせたが、最近の抽選会での豪華なイベントに比べればまだまだ質素なものだった。

 ちなみに、パヴァロッティは翌年のW杯決勝前夜に古代ローマ遺跡のカラカラ浴場でプラシド・ドミンゴ、ホセ・カレーラスとともにコンサートを行ない、その後も3人は「三大テノール」として活動。1996年には旧国立競技場でも公演を行なっている。

 このイタリア大会抽選会の時も、パヴァロッティについて何かコメントさせられた記憶がある。

 翌年の大会取材に備えて当時イタリア語学校に通っていた僕は、番組を担当していた通訳の人に「ルチャーノ・パヴァロッティ」の発音が正しかったと褒められて喜んだ記憶があるが(カタカナで「ルチアーノ」と書かれることが多いが、正しくは「ルチャーノ」のほうが近い)、こちらも抽選会自体の記憶はもはや定かでない。

 ちなみに、BS放送が始まってからずっと僕は「BSに加入しようかどうか」と悩んでいたのだが、この時NHKからもらった出演料を使ってBS用のテレビやパラボラアンテナを購入した。

 さて、エンターテインメントの国、アメリカで今週行なわれる抽選会ではどんな演出があるのだろうか。そちらも気になる......。

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著者プロフィール

  • 後藤健生

    後藤健生 (ごとう・たけお)

    1952年、東京都生まれ。慶應義塾大学大学院博士課程修了(国際政治)。1964年の東京五輪以来、サッカー観戦を続け、1974年西ドイツW杯以来ワールドカップはすべて現地観戦。カタール大会では29試合を観戦した。2025年、生涯観戦試合数は7500試合を超えた。主な著書に『日本サッカー史――日本代表の90年』(2007年、双葉社)、『国立競技場の100年――明治神宮外苑から見る日本の近代スポーツ』(2013年、ミネルヴァ書房)、『森保ジャパン 世界で勝つための条件―日本代表監督論』(2019年、NHK出版新書)など。

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