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【サッカー日本代表】ジャーメイン良がデビュー戦4ゴールで得た自信「シャドーのポジションで新しい形を示せた」 (4ページ目)

  • 原山裕平●取材・文 text by Harayama Yuhei

【プロ入り当初は意識が低かった】

── ジャーメイン選手は2018年にベガルタ仙台でプロのキャリアをスタートさせましたが、プロ入り当初は苦しい時期を過ごしていましたよね。

「そうですね。1年目は途中出場がほとんどで、2年目、3年目はケガが多くて、あまり試合に絡むことができませんでした。今思えば、足りないものだらけでしたね。スピードには自信がありましたけど、技術も不足していたし、華奢だったので、フィジカル的にもJ1でプレーする基準に達していなかったと思います。

 仙台は、どちらかと言うと残留争いをするようなチームだったので、決して攻撃する時間が長くない。そういうなかで、前線には個で打開できるような力が求められていたと思いますが、自分にはその能力がなかった。前線には強さのある外国籍選手が起用されることが多いなかで、自分にはそこを超えていく力はなかったと思います」

── 試合にあまり出られないなかで、どういった努力をされていましたか。

「スピードはあったけどフィジカルが弱かったので、そこを鍛えなければいけなかったんですけど、あまり取り組んではいませんでした。今思えば、意識が低かったんだと思います。スピードを生かすことばかり考えて、足りないものを補う努力はしていなかったですね」

── その後、横浜FCを経て2022年に磐田に加入します。そして移籍2年目の2023年に突如、ストライカーとしての能力が開花することになりました。その背景には何があったのでしょうか。

「この年の磐田は補強禁止の措置を受けていたので、新しい選手が入ってこなかったんですよ。前年に降格して、J1復帰を目指すチームとしては苦しかったですけど、若手だったり、自分のようにポジションを掴み取れていなかった選手にとっては、チャンスという認識がありました。

 また、個人的には初めてのJ2だったのもあって、しっかりとゲームに出て、力をつけて、成長できる年だとイメージして、シーズンに入ったのを覚えています」

── 当初は右ウイングとして起用されていましたよね。

「そうです。でも、シーズンが進むなかで案の定、フォワードはケガ人と移籍で枚数が足りなくなってしまいました。そのなかで1トップとして起用されるようになって、そこからですね。点が取れるようになったのは」

(つづく)

◆ジャーメイン良・後編>>「海外は現実的じゃない。3、4年はトップフォームでやれる」


【profile】
ジャーメイン良(りょう)
1995年4月19日生まれ、神奈川県厚木市出身。アメリカ人の父と日本人の母との間に生まれる。流通経済大柏から流通経済大に進学し、大学4年時に特別指定選手としてベガルタ仙台でJリーグデビュー。2021年に横浜FC、2022年からはジュビロ磐田でプレーしたのち、2025年にサンフレッチェ広島へ。2025年7月、A代表デビューとなったE-1選手権・香港戦で4ゴールを記録。大会得点王とMVPを受賞する。ポジション=FW。身長182cm、体重82kg。

著者プロフィール

  • 原山裕平

    原山裕平 (はらやま・ゆうへい)

    スポーツライター。1976年生まれ、静岡県出身。2002年から『週刊サッカーダイジェスト』編集部に所属し、セレッソ大阪、浦和レッズ、サンフレッチェ広島、日本代表などを担当。2015年よりフリーランスに転身。

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