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近賀ゆかりにとってなでしこジャパンは「目指す場所じゃなくて、居たい場所だった」 (4ページ目)

  • 早草紀子●取材・文・写真 text&photo by Hayakusa Noriko

【なでしこジャパンは特別】

――ラストマッチで近賀さんよりも泣いていた有吉選手の姿を見ても、その感慨深さが推し量れます。今、あえてお伺いします。近賀さんのポジションはどこですか?

近賀 右サイドバックです!

――思い描いていたサイドバックになれました?

近賀 なれたとは言いきれないけど、自分らしいサイドバックだったとは思います。それを表わすのがオーバーラップ。特別足が速いわけではないけど、スピードのある選手を相手にしても裏を取れる自信はありました。サイドバックになったから、このサッカー人生があったと思っています。

――そう思えるまでに、いろんな先輩たちと一緒に戦った道のりがありました。「顔を見ただけで泣きそうになる」という、引退セレモニーにもかけつけてくれた当時のなでしこジャパンの面々ですが、その泣きたくなる感情に名前をつけるとしたら?

近賀 なんでしょうね。とにかくすべて"特別"なんです。説明できないこういう感情を"特別"って言うんじゃないかな。なでしこジャパンって、私にとっては目指していた場所とかではないんですよ。絶対に代表に入りたい!とかではなくて、あの先輩や後輩たちとサッカーをするのが大好きで、しいていうなら"居たい場所"でした。

――2004年のアテネ五輪後に近賀さんはコンスタントに代表入りするようになりましたよね。アテネ五輪は初めてのアジア予選が開催されて、澤穂希さんはヒザの半月板を割りながら出場して、初めて北朝鮮を破って出場権を掴むというドラマのあるチームでした。「みんなアテネのチームはよかったって言うけど、今のチームもそれに負けないチームだって思ってもらえるようにしたい」って21歳の近賀さんが言っていたのを思い出しました。

近賀 言った!言った! 本当にあのメンバーが大好きだったんですよね。

――あの頃の近賀さんの姿は、今のレジーナの選手たちと通じるところありますよね。例えば、近賀さんが復帰した試合で、柳瀬楓菜選手がゴールを決めてベンチに下がっていた近賀さんのところに走っていったじゃないですか。あの姿が、サイドバックをやり始めた頃、隣にいたセンターバックの池田浩美(旧姓・磯崎)さんに初めてラインコントロールを成功させて褒めてもらったときの近賀さんのようで、ベンチで待ち構える近賀さんは、池田さんと同じ表情をしていました。

近賀 そうだとしたら、うれしすぎます。ちょっと今......私ヤバイです(涙)。このインタビューの最初にレジーナの選手たちが私に怒られたって言ってくれていたの、実はうれしいんです。自分も怒られながら先輩に引っ張ってもらって、そうしてくれた人たちのことが今でも大好き。だってなんにもわからないなかで、初めて磯さん(池田)に褒められたときのこと、今でも覚えているんです。

――ちゃんとつながっていますよね。選手としてはやり尽くしたと言っていましたが、これからはどんなことがしたいですか?

近賀 大好きなパン屋巡りもしたいけど、まずはいろんなサッカーが見たいです。日本国内外、男女問わず、いろんなチームの練習に行きたいです。練習を見るの、好きなんですよね。監督の思想っていうかチームカラーも含めて全部、練習に出ません?

――指導者に興味があるんですか?

近賀 あるけど......指導者は違うでしょって言ってる自分もいる(笑)。優秀な参謀がいなきゃ無理です。だってかなり適当ですもん、私(笑)。今はただ、いろんな人の練習が見たい。Jリーグも全チーム見に行きたいくらいです。Youtubeチャンネルを開設して、練習見学企画を仕事にしようかな(笑)。

***

 なでしこジャパンとして、前に進み続けてきた年月があったからこそ、近賀は輝きを増していった。2011年のW杯優勝をきっかけに、取り巻く環境もすべてが変わったあとも、近賀がブレたことは一度もない。その根底には先輩から受け継いだ想いがあり、時を経てそれは今、サンフレッチェ広島レジーナへと確かに引き継がれている。

 次なる目標は、「レジーナの試合でピースウィングを満員にすること」だという。近賀ゆかり第2章のプロローグはすでに描かれ始めているようだ。

Profile
きんが・ゆかり/1984年5月2日生まれ、神奈川県出身。
2003年に日テレ・ベレーザに入団し、FWとして新人賞を獲得。7年在籍後、INAC神戸レオネッサ、アーセナル・レディースFC(イングランド)、メルボルン・シティWFC(オーストラリア)など、国内外のチームで経験を積んだ。2021年には、新設のサンフレッチェ広島レジーナの初期メンバーとして入団し、キャプテンとしてチームを牽引。3年目にはチーム初タイトルとなるWEリーグカップを制覇した。
なでしこジャパンとしては、2004年のアテネ五輪にバックアップメンバーとして登録され、コンスタントに招集されるようになった。2007年にサイドバックにコンバートされてからは、不動の右サイドバックとして活躍。2011年ドイツW杯優勝、2012年ロンドン五輪銀メダル、2015年カナダW杯準優勝に貢献した。

著者プロフィール

  • 早草紀子

    早草紀子 (はやくさ・のりこ)

    兵庫・神戸市生まれ。東京工芸短大写真技術科卒業。在学中のJリーグ元年からサッカーを撮りはじめ、1994年からフリーランスとしてサッカー専門誌などに寄稿。1996年からは日本女子サッカーリーグのオフィシャルカメラマンも担当。女子サッカー報道の先駆者として、黎明期のシーンを手弁当で支えた。2005年より大宮アルディージャのオフィシャルカメラマン。2021年から、WEリーグのオフィシャルサイトで選手インタビューの連載も担当。

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