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近賀ゆかりにとってなでしこジャパンは「目指す場所じゃなくて、居たい場所だった」 (2ページ目)

  • 早草紀子●取材・文・写真 text&photo by Hayakusa Noriko

――リオ五輪の出場を逃したことは確かに国内の女子サッカーの人気に陰りを落とすきっかけのひとつにはなったとは思いますが、あくまでもいくつかあった理由のひとつ。受け止め方もそれぞれですよね。宮間あやさんはかなり長くその責任を背負っていましたし、岩渕真奈さんは「そんなのはあとのチームの責任だから、先輩たちが背負うことじゃない!」って断言していました。近賀さんの受け止め方は?

近賀 悔しいし、責任も感じていましたけど、確実に言えるのはあや(宮間)ほどではないけど岩渕ほどでもないってこと(笑)。でも、当時は今以上にマイナー競技だったから、女子サッカーを知ってもらうためにっていうのは原動力になっていました。それが(当時の)"なでしこジャパン"だったし、そういう想いが強かったから、ドイツ大会のときのようなチームが生まれたとも思うんです。

――それがあのチームには欠かせない資質でしたね。そのなかで近賀さんが培ってきたものがサイドバック力。印象に残る対決相手はいますか?

近賀 アメリカのミーガン・ラピノー選手と、ブラジルのクリスチアーニ・ロゼイラ選手は別格でした。ラピノーはタテ突破してクロスも、カットインもあって、めちゃくちゃ対応が難しかったです。だけど同じピッチに立っていて楽しいというか、どうやったら抑えられるのかとかめちゃくちゃ考えました。クリスチアーニは左(足)ってわかっていても、止めるのは無理っていうすごさがあった。足だけでなくヘディングもあったので。

 そういう人たちを止めるために唯一有効だったのが、自分がオーバーラップすることだったんです。どれだけサイドで自分がこの人たちを持ち場に帰らせるか。自分の陣地に来させないか。サイドは常に(スペースの)取り合いでしたよ。自分を優位に進めるにはリスクはあっても自分のことをどれだけ相手に気にさせるかが大事だから。そういうのが自分のプレースタイルにも合っていたんだと思います。

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