なでしこジャパン守屋都弥が振り返るパリ五輪「初めて『サッカー、おもろ!』って感じた」 (2ページ目)
――結果、バックアップメンバーとしてフランス入りしましたが、大会直前にルール変更があって、バックアップメンバーでも出場できる可能性が高まりました。
守屋 周りからも「(試合の出場枠については)どうなるかわからないから」と言われていたんです。でも、自分のなかでは「直前でルールなんて変わるか?」とも思っていて。「(試合に)出られるかも!?」となったときはラッキーでしたけど、自分のなかでは最初から、ルールが変わっても変わらなくても"チームのために戦う"と決めていました。
そもそもルール変更がなかったとしても、(昨夏の)ワールドカップでも一緒に戦ってきた"なでしこジャパン"は応援したいチームでもあるんで。試合に出られない悔しさはあっても、その一員でいられることは大きかったです。それに、バックアップメンバーはひとりではないので、国内の直前キャップの時には(バックアップの)フィールドメンバー3人(守屋、石川璃音、千葉玲海菜)で喝を入れ合っていました。「チームのために頑張ろう!」って、3人で決めていたので。
――結局ルールが変更されて、守屋選手は初戦のスペイン戦でいきなりピッチに立つことになりました。
守屋(清水)梨紗がケガをしてしまって......。でも、そのときのファーストチョイスは、自分ではなかったんですよね。バックアップメンバーという、立ち位置を痛感しました。そこで、気持ちは一度落ちたんですけど、最後に出場機会がめぐってきたことで、また気持ちが上がって(笑)。もちろん、ピッチに入ったら、そんなことは関係なく、自分の仕事をやりきるだけでした。
――少ない時間でしたけど、あの厳しい展開のなかで一気にクロスまで持っていくプレーを見せました。あれは、守屋選手の意地だな、と思いました。
守屋 ふふふ(笑)。アメリカ遠征で、左サイドで出たときにクロスを上げられなかったんですよ。ワールドカップのスペイン戦で出たときもクロスを上げていなくて......。やっぱり試合に出たからには、(自らの存在の)証を、爪痕を残さないと!って思っていました。これで、オリンピックの出場は最後になるかもしれないですし。
――その後、清水選手はスペイン戦の負傷で離脱。彼女の分まで、とスペシャリストとしては奮い立ったのではないですか。
守屋 そうですね。ただ、自分は(最初)左サイドで出て、(本来の)右サイドじゃないんだっていう思いはありました。(サイドを)やったことがない人を(清水選手の代わりに)据える、というのは......ね。左右どちらかのサイドは本職を置いてもいいんじゃないかって、自分のなかではあって......。そこが自分ではなかった。
それでも、左サイドはこの代表で自分が任された場所。そこも自分のポジションだと思って臨んでいました。
――オリンピックの大舞台で、常に"なにくそ精神"があったのですね。
守屋「もっと右で、サイドバックで出させてくれ!」っていうね(笑)。どこかでスペシャリストとして爪痕を残したい。ベスト8の壁を超えるために、試合に出ている責任を果たしたかったです。
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