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なでしこジャパン守屋都弥が振り返るパリ五輪「初めて『サッカー、おもろ!』って感じた」 (4ページ目)

  • 早草紀子●取材・構成 text by Hayakusa Noriko

――守屋選手にとって、オリンピックはどんな大会でしたか。

守屋「もっと成長できる!」と思える大会でした。この代表に選ばれる前は、(残りのサッカー人生は)韓国に移籍して楽しくサッカーをして、それで競技人生を終えようかな、とか思っていたんです。あとは、タイミングだけ、と。そんなときに代表に呼ばれて、その先にオリンピックという目標ができた。そして、(オリンピックでは)自分の成長の幅を知るというか、まだ上を見られるんだって、再確認させてもらいました。

――韓国への移籍などを思い描いているときというのは、WEリーグでもスタミナ抜群のサイドバックとして名が売れている時期ですよね。なぜ、そんな選択肢を考えていたのでしょうか。

守屋 自分のなかで、向上心がなくなっていたんです。「もうこれでいいや」って。自分の限界はここまでなんじゃないかなって。でも、代表として戦って、もっと上に行きたいという欲が出てきた。(上のレベルでも)自分が通用する部分も見つけられて、ここを磨けばもっと成長できるというのもあって。(代表で戦っていて)その道筋が見えた。そこから、変わりました。

――ということは、なでしこジャパンの位置づけというのも、守屋選手のなかで変わりましたか。

守屋 変わりました! それまでもメディアの前では「なでしこ、目指します!」とは言っていましたけど、実際のところ、自分はそこに近くないなって思っていたんですよ。でもそこから、代表にずっと呼ばれるようになって「ここに居続けたい」って思うようになって。きっとこれが、これまでの私にはなかった"欲"だと思います。

(つづく)

photo by Hayakusa Norikophoto by Hayakusa Norikoこの記事に関連する写真を見る守屋都弥(もりや・みやび)
1996年8月22日生まれ。奈良県出身。中学校入学時にJFAアカデミー福島に入校。高校を含めて6年間在籍し、卒業後にINAC神戸レオネッサ入り。2016年U-20女子W杯に出場。チームでも徐々に頭角を現わして2022年、ウイングバックに転向して一躍リーグを代表する選手へ。なでしこジャパンにも選出され、2023年女子W杯、2024年パリ五輪に出場した。

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