巻誠一郎が見たドイツW杯の舞台裏「最初に感じたギクシャクした空気は初戦の負けで一気に表面化した」 (3ページ目)

  • 佐藤俊●取材・文 text by Sato Shun

 チーム内で何がどう進んでいるのか、巻はまったくわからなかった。ただそれでも、腐ることはなかった。試合に出る準備だけは怠らずにした。

「やっぱり試合に出たいですし、出るからにはいいプレーをしたいので、淡々と準備をしていました」

 ドイツW杯2戦目のクロアチア戦は、ともに負けが許されない状況にあって、互いに慎重にゲームを進めた。結局、それぞれ決定機を生み出すことができず、スコアレスドローとなった。

 これで、日本は1分け1敗でグループ最下位となり、最終戦のブラジル戦では2点差以上の勝利を得ない限り、グループリーグ敗退という厳しい状況に追い込まれた。

「0-0のドローは、初戦に勝っていれば悪くない結果だと思うんですけど......。自分たちにとっては、敗戦に近いドローでした」

 2002年日韓W杯で決勝トーナメント進出を果たし、その主力の多くが選手として脂に乗った年齢でドイツW杯を迎えた日本代表。それゆえ「史上最強」と称されたが、不甲斐ない戦いを続け、日本のサポーターはストレスをためていた。

 結果、練習場に詰めかけたサポーターたちは、選手たちに辛辣な声を浴びせた。シュート練習でミスをすると、「きっちり決めろよ」「外してんじゃねーぞ」とヤジが飛んだ。

「めちゃくちゃやりづらかったですし、普通に嫌だなと思いました。一生懸命やらない選手なんていないですし、いきなりシュートがうまくなるわけじゃないですからね。

 W杯は国を挙げて応援してくれていますし、誰もが期待感を持って見てくれていたと思うんです。でも、勝てなければ『W杯って、こんな感じになるの?』『これが、W杯の応援なの』って思っていました」

 チームは、主力組とサブ組の一部との関係がますます険悪になっていた。残された試合はブラジル戦のみ。ジーコは基本的にメンバーをいじらない。一部の選手は、このままだと次が最後になるかもしれないという焦りから、余計にいら立ちを隠さなくなっていた。

 巻は「試合に出ないまま日本に帰ることになるのかな」と思っていた。しかしブラジル戦の当日、出発前のミーティングに行く直前、部屋に電話がかかってきた。

「巻、ミーティングの前だけど、監督の部屋に来られるか」

 それは、スタッフから連絡だった。「直前に何事だろう」と不安気にジーコの部屋に行くと、こう言われた。

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