サッカー日本代表での長友佑都の価値とは? 福田正博が「替えのきかない存在」と考える理由 (3ページ目)

  • text by Tsugane Ichiro

【大ベテランの全力プレーで若い選手は振る舞いを知る】

 ここに長友と長谷部誠コーチとの役割の違いがある。長谷部コーチは昨季限りで現役引退し、9月から日本代表コーチ陣に加わった。限りなく現役選手に近い存在ではあるものの、彼の言葉に求められるのは、チームとしての役割を選手に理解させるためのもの。一方、長友の言葉は、監督・コーチ陣からの言葉を受けた選手をサポートするためにある。

 こうした役割をピッチ外でも担える国際経験豊富な現役選手となると、日本サッカー界には長友しかいない。日本代表にはアジア最終予選から望月ヘンリー海輝、高井幸大、藤田譲瑠チマ、大橋祐紀、関根大輝といった選手たちが初招集されたが、やはり長友がいることで彼らが代表チームに溶け込みやすい雰囲気がつくられている。

 練習でも38歳の大ベテランが全力でプレーし、ボールを運んだりする雑用も率先してやっている。こうした姿勢を見ることで、若い選手たちは日本代表チームでの振る舞いを肌で知る。ピッチ内でのパフォーマンスばかりに目が行きがちだが、活動期間の限られた日本代表においてはチームマネジメント面でこれほど頼りになる存在はいない。

 代表のためにピッチ外でも労を厭わない長友の重要性を、森保監督も理解しているからこそ、日本代表に招集している。そして、その意図を長友自身もわかっているからこそ、日本代表のために全身全霊を捧げているのだろう。森保監督は長友がピッチ上で動ける限り、2026年のW杯本大会まで招集するのではないか。そう思わせるほど、いまの長友の存在は日本代表にとって貴重な存在になっている。

 プライドが高く、ひと癖もふた癖もある選手たちが顔を揃えるのが日本代表でもある。そんなチームの歯車が狂いそうになった時にこそ、チームを鼓舞して前を向かせるメッセージを発することのできる、長友の存在感は増していくだろう。

著者プロフィール

  • 福田正博

    福田正博 (ふくだ・まさひろ)

    1966年12月27日生まれ。神奈川県出身。中央大学卒業後、1989年に三菱(現浦和レッズ)に入団。Jリーグスタート時から浦和の中心選手として活躍した「ミスター・レッズ」。1995年に50試合で32ゴールを挙げ、日本人初のJリーグ得点王。Jリーグ通算228試合、93得点。日本代表では、45試合で9ゴールを記録。2002年に現役引退後、解説者として各種メディアで活動。2008~10年は浦和のコーチも務めている。

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