サッカー日本代表がサウジアラビアと対戦 アラブ諸国の「お金」は世界のフットボールを変えるか
連載第18回
サッカー観戦7000試合超! 後藤健生の「来た、観た、蹴った」
現場観戦なんと7000試合を超えるサッカージャーナリストの後藤健生氏が、豊富な取材経験からサッカーの歴史、文化、エピソードを綴ります。
W杯アジア最終予選で日本代表が対戦するサウジアラビアは、近年世界のスター選手が続々と国内リーグへ移籍。2034年W杯の開催も有力となるなど、サッカー界を賑わせています。隣国カタールも含め、いわゆる「オイルマネー」で発展してきたアラブ諸国のサッカーの歴史を伝えます。
3年前のカタールW杯予選では日本はアウェーでサウジアラビアに0-1で敗れている photo by Getty Imagesこの記事に関連する写真を見る
【アジア最強を誇った1980~90年代】
サウジアラビアが「アジア最強」を豪語していたのは1980年代から90年代にかけてのことだった。
1984年の第8回アジアカップで初優勝すると、その後5大会連続で決勝に進出。うち3度の優勝を飾っている(残りの2度とも、サウジアラビアの優勝を阻んだのは日本)。
この間、ワールドカップにはなかなか出場できなかったが、1994年のアメリカW杯に初出場するとアジア勢としては1966年イングランドW杯の北朝鮮以来のグループリーグ突破に成功。サイード・オワイランが5人抜きゴールを見せたのも、この大会のベルギー戦でのことだった。
中東地域で第2次世界大戦前からサッカーが盛んだったのは、地中海に面していて欧州の影響が強かったエジプトやシリアであり、また、人口も多い地域大国のイランなどだ。サウジアラビアやアラブ首長国連邦(UAE)、カタール、クウェートといったアラビア(ペルシャ)湾岸産油国でサッカーが盛んになったのは、ずっとあとのことである。
衝撃的なニュースが伝わってきたのは、1977年7月のことだ。
イングランド代表監督だったドン・レビーが、W杯予選を戦っている最中に突如辞任。UAE代表監督に就任するというのだ。レビーはリーズ・ユナイテッドの監督として、2部にいた同クラブを強豪に育て上げ、リーグ優勝2回など数多くのタイトルをもたらした名将だった。そのレビーが、母国の代表監督という名誉ある座を捨てて中東に渡ったのは、もちろん高額の年俸のためで、彼の行動はイングランドでは顰蹙(ひんしゅく)を買った。
46年後の2023年、同じような事件が起こった。
ロベルト・マンチーニが、やはり母国イタリア代表監督を辞任してサウジアラビア代表の監督となり、母国で批判を浴びたのだ。
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著者プロフィール
後藤健生 (ごとう・たけお)
1952年、東京都生まれ。慶應義塾大学大学院博士課程修了(国際政治)。1964年の東京五輪以来、サッカー観戦を続け、1974年西ドイツW杯以来ワールドカップはすべて現地観戦。カタール大会では29試合を観戦した。2022年12月に生涯観戦試合数は7000試合を超えた。主な著書に『日本サッカー史――日本代表の90年』(2007年、双葉社)、『国立競技場の100年――明治神宮外苑から見る日本の近代スポーツ』(2013年、ミネルヴァ書房)、『森保ジャパン 世界で勝つための条件―日本代表監督論』(2019年、NHK出版新書)など。