サッカー日本代表がサウジアラビアと対戦 アラブ諸国の「お金」は世界のフットボールを変えるか (2ページ目)

  • 後藤健生●文 text by Goto Takeo

【オイルマネーでサッカーを強化】

 1973年10月にエジプト、シリア両軍がイスラエルに対して奇襲攻撃を仕掛けた。第4次中東戦争である。その6年前の第3次中東戦争で失った領土奪回が目的で、結局、強力な軍事力を誇るイスラエルの反撃に遭ったのだが、それでもエジプトはシナイ半島奪回に成功した。

 そして、この戦争に伴って、アラブ諸国を中心とする石油輸出国機構(OPEC)がイスラエルを支援する欧米諸国に対する石油輸出を禁止。これをきっかけに原油価格が高騰し、日本でも物価が急上昇し、日本サッカーリーグ(JSL)でもナイトゲームができなくなったりした。

 一方、原油価格の急騰によって産油国は一気に巨額の収入、いわゆる「オイルマネー」を手にしたのだ。そして、その一部を使ってアラブ諸国はサッカーの強化を図った。

 ドン・レビーのUAE代表監督就任はその象徴的な出来事で、中東の各国においてはスタジアムやスポーツクラブが次々と建設され、多くの欧州出身コーチが中東に渡った。その結果、中東諸国はたちまちアジア最強の存在となっていった。

 僕が中東諸国のチームを最初に見たのは、1984年にシンガポールで行なわれたロサンゼルス五輪最終予選の時だった。森孝慈監督の下で強化が進んでいたと思われていた日本代表だったが、4連敗。そして、韓国も3位決定戦でイラクに敗れたため、アジア代表の3枠はサウジアラビア、カタール、イラクの中東勢に独占されてしまった(当時の五輪はフル代表が出場)。

 1986年のアジア大会は韓国のソウルで開催された。前年のメキシコW杯予選で韓国との最終予選に駒を進めることに成功していた日本だったが、アジア大会ではイランとクウェートに完敗してグループリーグ敗退。中東勢は、やはり分厚い壁のように立ちはだかった。

 この大会の準決勝。ソウル五輪スタジアムではサウジアラビア対クウェートの試合が行なわれた。2対2の引き分けからのPK戦でサウジアラビアが決勝進出を決めたのだが、そのテクニックやスピード感溢れる攻防は、従来のアジアのレベルを大きく超えるもので、「日本が中東勢に勝つことは不可能」と思われた(決勝では地元韓国が勝利)。

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