サッカー日本代表がサウジアラビアと対戦 アラブ諸国の「お金」は世界のフットボールを変えるか (3ページ目)
【資金は欧州強豪クラブ、W杯開催へ】
1992年に広島で開催された第10回アジアカップ。翌年にJリーグ開幕を控えた日本は、初の外国人監督ハンス・オフトの下で急速に強化を進め、苦戦しながらも決勝進出に成功。決勝戦では高木琢也が決めた貴重なゴールを守りきって、3連覇を狙っていたサウジアラビアを倒して初優勝を決めた。
試合終了と同時にピッチ上に倒れ込むサウジアラビアの選手たち......。それを僕が信じがたい光景のように感じたのは、ほんの数年前まで続いた中東勢によるアジアのタイトル独占を見てきたからだった。
1997年のフランスW杯アジア1次予選の時に、僕は初めてサウジアラビアに渡航した。
今では、サウジアラビアも観光客の誘致に力を入れているが、当時は観光ビザというものがなく、業務ビザ入手もかなり難しかったのだが、中東で長く仕事をしている知り合いのセルビア人監督に依頼して、サウジアラビアサッカー連盟を通じてビザ取得に成功したのだ。
ジッダでマレーシアとの試合を観戦したあと、僕は首都のリヤドに移動。連盟幹部のインタビューを行ない、また、強豪アル・ヒラルとアル・ナスルのクラブハウスも取材した。
クラブハウスはすべて政府の予算で建設されているので、設計はほとんど同じ。プロ選手の給料も国庫から支給されており、そのほかの経費はクラブの会長を務める王族たちのポケットマネーや王族所有の企業から支援を受けていた。
アラブ諸国は、どの国でも王族が富と権力を独占している。そうした国家の指導者は国民による反乱を恐れているので、ご機嫌取りのために娯楽を与えようとするものだ。
そして、スポーツはその重要な手段のひとつなのだ。
エネルギー資源の逼迫のため、原油価格高騰はその後も続き、産油国の収入はますます増えている。そうした資金は欧州の強豪クラブに流れ、中東マネーを取り入れたパリ・サンジェルマンやマンチェスター・シティは欧州きっての強豪となり、一方、ワールドクラスのスター選手たちが次々とサウジアラビアを中心とする中東諸国に渡った。
カタールは、人口300万(うち、カタール国籍は30万人)という国に5万人規模のスタジアムを8カ所も建設してW杯開催を成功させた。大変な資金の浪費である。サウジアラビアも、これに対抗して2034年W杯開催に立候補して開催が濃厚。さらに大規模で豪華な大会となることだろう。
そのほか、たとえばAFCチャンピオンズリーグ(ACL)エリートの準々決勝以降はサウジアラビアでの開催となるなど、FIFAやAFC主催の大会の多くがサウジアラビアやカタールで開催されるようになっている。
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