パリオリンピック男子サッカー 主将・藤田譲瑠チマの想い「みんなと戦えてよかった」 (2ページ目)
【後悔の言葉は次から次へと...】
ただ、スペイン戦は反省ばかりが残った。
まずはスペインの1点目。相手右サイドでのパスを藤田がカットし、山本→三戸舜介とつないだものの、相手のチェックを受けてボールロスト。そのまま一瞬でゴールを奪われた。11分、ペナルティエリア前から枠をとらえたミドルシュートだった。
「速い時間帯で失点してしまった。あのスペースを空けたら簡単に点を獲られるのは、このレベルでは普通の話」
一瞬の隙が生んだスペースだった。小久保の左手をかすめていたことを考えれば防げた失点だったかもしれないし、イージーなボールロストだったかもしれない。ただ、まだ開始11分。落ち込むことはなかった。前半ロスタイムに細谷真大の得点が取り消されても、切り替えた。
だが、2失点目も同じフェルミン・ロペスにやられた。左CKを起点にペナルティエリア外からのミドルシュートを、1失点目と同じような右隅に決められた。
「2失点目もそういう形だった。そこは自分や(山本)理仁がもっと詰めないといけなかった」
3点目もまた、CKから失点した。
「後悔しても仕方ないけれど、あと一歩、寄せられたのかな。相手がポゼッションに徹したら本当にうまかったけれど、うまくマークを外されてピンチになった以外、対等に戦えていたかと思う。だからこそ、簡単にゴールを与えてしまったのが、敗れた要因だと思う」
後悔の言葉は次から次へと、口をついて出てきた。
これで世代別代表は、全カテゴリーを終了した。オーバーエイジで呼ばれないかぎり、オリンピックに出場する機会はなく、今後はA代表入りをかけて切磋琢磨していかなくてはならない。
藤田はピッチ上で、大岩監督から「よくやった、もっと強くなってA代表でみんなが顔を合わせられるように」と声をかけてもらったという。
オリンピックは終わったが、彼らのプロサッカー選手としての道は続いていく。この悔しさを胸に、次の舞台へ足を踏み出す。
プロフィール
了戒美子 (りょうかい・よしこ)
1975年生まれ、埼玉県出身。2001年サッカー取材を開始し、サッカーW杯は南アフリカ大会から、夏季五輪は北京大会から現地取材。現在はドイツを拠点に、日本人選手を中心に欧州サッカーを取材中。著書『内田篤人 悲痛と希望の3144日』(講談社)。
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