鮫島彩がパリオリンピックを戦うなでしこジャパンへエール 自身は「サッカーを味わい尽くして」引退
今季引退・鮫島彩インタビュー(4)
とにかくストイックに、全力で駆け抜けてきた鮫島彩が、サッカーキャリア最後の決断を下した――その心が決まったのは、最終節の直前。ここ数年、頭の片隅に"引退"の二文字を秘めながら一年一年、丁寧に向き合ってきた。そして訪れた決断の瞬間、彼女の心に浮かんだ感情とは? そしてこれからの彼女が歩む道の先に何を見据えているのだろうか。
鮫島彩引退インタビュー最終回。なでしこジャパンへのエールを聞いた photo by Hayakusa Norikoこの記事に関連する写真を見る
【サッカーを味わい尽くした】
――誰しもいつかは引退という決断を下すときが来るわけですが、鮫島さんの場合はいつ決断をしたのでしょうか?
決断は本当にリーグ最終週のあたりで。だから本当に多方面にご迷惑をおかけしてしまいました(苦笑)。これまでも決断こそしていませんでしたが、"引退"というのは毎年頭をかすめてはいたんです。
――それがハッキリと傾いたのは?
キング(有吉佐織)と同じチームになり、選手としての向上心とか、全く逆のタイプの姿を見て、彼女から学ぶことがたくさんあって。もっと伸ばせる部分を見つける......そこに楽しさを感じていました。最終節までそれはあった。なんなら今だってサッカーがうまくなりたいなっていうのはあるし、選手としての欲がなくなったわけではないんです。
今までのジェットコースターのようなサッカー人生を通して、本当にサッカーを通じて経験できることはすべて味わい尽くさせてもらったなって思ったんですよね。
――確かに、これまでにない経験を、ということでの大宮VENTUSという選択だったわけですから。
はい。クラブも4年目に入って、新規チームというよりはこの先はシンプルにひとつの"WEリーグに参戦しているチーム"になる。クラブの方針としても次の段階に入ろうとしていることを感じていました。そうなった時、もう私はこれまでのすべての経験を含めて、サッカーを味わい尽くしたなって思えたんです。それをセレモニーの時には「やりきった」という表現で伝えさせてもらったんですけど、これ以上はないかなって。それくらい味わい尽くすことができたと思えました。
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著者プロフィール
早草紀子 (はやくさ・のりこ)
兵庫・神戸市生まれ。東京工芸短大写真技術科卒業。在学中のJリーグ元年からサッカーを撮りはじめ、1994年からフリーランスとしてサッカー専門誌などに寄稿。1996年からは日本女子サッカーリーグのオフィシャルカメラマンも担当。女子サッカー報道の先駆者として、黎明期のシーンを手弁当で支えた。2005年より大宮アルディージャのオフィシャルカメラマン。2021年から、WEリーグのオフィシャルサイトで選手インタビューの連載も担当。