日本代表の「衝撃的敗戦」はなぜ起きたか 機能的な攻撃のなさが守備崩壊を招いた

  • 杉山茂樹●文 text by Sugiyama Shigeki

 日本はアジアカップで、初優勝した1992年大会を皮切りに、以降10大会で4度優勝を飾っている。つまり6度優勝を逃しているわけだが、そのうちベスト8に沈んだのは1996年UAE大会と2015年オーストラリア大会の2回である。

 クウェートに準々決勝で敗れた1996年は、日本の実力がまだ不安定な時期だった。2015年は延長PK戦負け。UAEに対して、試合内容では圧倒したが、運なく敗れた。あまり負けた気がしないというか、敗れてなお「日本強し」を印象づけたほどだった。

 イランに1-2で逆転負けした今回は、それらに比べると印象が思いきり悪い。グループリーグでも36年ぶりの敗戦を喫している(イラクに1-2)。欧州組20人を含む、可能な限りのベストメンバーで臨んだにもかかわらず、この体たらくだ。単なる敗戦ではない。5回の敗退劇にすべて立ち会ってきた筆者には、この敗戦は衝撃的に映る。敗れ方として最も悪い、日本サッカー史に刻まれる汚点とさえ言いたくなる。

 放置してはいけない大問題。森保一監督の進退問題が日本でどれだけ取り沙汰されるのか定かではないが、責任の所在は徹底的に追及されなければならない。原因をたとえばPKを与えた板倉滉など選手個人に求めるのは、ナンセンス極まりない。非サッカー的な思考法そのものだ。

後半アディショナルタイム、イランにPKを与えた日本の守備陣 photo by Sano Miki後半アディショナルタイム、イランにPKを与えた日本の守備陣 photo by Sano Mikiこの記事に関連する写真を見る 監督に選手交代のタイミング、選択肢はいくらでもあった。

 日本に危うい気配が漂ってきたのは前半の30分を過ぎた頃からだった。1-0のリードでなんとか前半を折り返したが、流れは明らかにイラン側に傾いていた。したがって手を打つタイミングは後半の頭にあった。だが森保監督は動かず。イランに後半10分、同点弾を浴びた。

 失点直後は2度目のタイミングだった。しかし森保監督はここでも動かず。この日初めて交代カードを切ったのは、同点とされてから12分後の後半22分という遅さだった(久保建英→南野拓実、前田大然→三笘薫)。

 そこから後半のアディショナルタイム(記録上は4分)を含む28分間に、三笘が左ウイングの位置でドリブルを仕掛けることができたシーンはわずか2回。交代のポイントがずれていることはこの一件からも明らかになる。

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