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【谷口彰悟・新連載】カタールに行って5カ月「フロンターレ時代は、よくも悪くも空気を読み、周りに合わせてしまっていた」 (2ページ目)

  • text by Harada Daisuke
  • photo by ©本人提供

 願望は目標になり、チャンスがあれば「自分も」という思いを持ち始めていた。

 同時に、所属していたフロンターレの成績が右肩上がりによくなっていったように、自分たちが取り組んでいるサッカーに手応えを感じるようになっていた。実際に、周囲からも「面白い」もしくは「魅力的な」サッカーをしていると言われる機会も増えてきていた。

 一方で、あと一歩のところでタイトルに手が届かず、その悔しさが、「このチーム」で、「このサッカー」で、優勝したいという強い思いにもなっていった。だから、自分自身も、どうしたらフロンターレが優勝することができるのだろうかということを考える機会も多くなり、個人の目標とチームの目標のふたつが絡み合うように交錯していた。

 そこには、やり甲斐があったのも事実だった。

 ひとつのチームが強くなっていく過程に、自分自身が選手として携わることができる。プロサッカー選手を職業にしている人は多くいるとはいえ、タイトル争いに身を置くことや、ましてやタイトルを獲ることは、なかなかできない経験だと思っていた。また純粋に、そこに挑める日々が楽しくもあった。

 実際、2017年にJ1リーグで初優勝し、そこからはさらに、フロンターレがどうやったら勝つことが当たり前のチームになっていくことができるのかを、チームメイトのみんなで探りながら、高め合っていくこともできた。

 対戦相手が、「打倒・フロンターレ」を掲げ、意識してくるのをどう跳ね返して、自分たちは試合に勝っていくのか。それはそれで毎試合、緊張感があり、闘争心をかき立てられるものがあった。

 そこにやり甲斐、面白さ、楽しさを感じていた自分は、このタイミングで海外に行くことは、選手として、また人として、貴重な経験の機会を失うことになるのではないか──という思いも抱くようになっていた。

 だから、決して「海外でのプレー」をあきらめていた、もしくはなくしたわけではなく、フロンターレで得られることに魅力を感じて、自分はフロンターレでプレーし続けてきた。

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