トルシエが「森保には心から驚いた」と絶賛するわけ。W杯後に日本で起こったPK論争には疑問を呈す (3ページ目)

  • 田村修一●取材・文 text by Tamura Shuichi
  • photo by JMPA

「ヴァイッドのチームはダイナミズムや自由な発想のプレーを欠いたが、レグラギは厳格な規律や役割から選手たちを解放した。同時に彼は、プレーの構築を選手に求め、それぞれの役割がはっきりした組織的なプレーのフレームワークを選手に与えた。

 選手は自分たちの役割を完全に理解し、そのうえで、自らを表現する自由を得た。忘れてはならないのは選手の能力だ。モロッコにはヨーロッパのビッグクラブでプレーしている選手たちがいる。それに、モロッコはホームのような雰囲気のなかで戦うことができた。カタールで、彼らはとても熱いサポートを受けた」

 人間的な側面を比較した時、モロッコ人のほうが日本人よりも表現力が豊かであるとトルシエは言う。

「モロッコ人の行動様式は日本人とは異なる。モロッコ人のほうが感情を豊かに表現する。感情の表出において、日本人はより節度があり、抑制されている。ただ、(秘めた)エネルギー自体に違いはない。森保もそうした表現や自由を実現する術を心得ており、選手たちも献身的に彼のプロジェクトに関わっていった」

 ラウンド16を突破できなかったチームと突破したチームの違いは、表現力の違いだけだったのだろうか。

「大会が進むにつれて、プレッシャーも強くなる。経験の少ないチームには不利な状況だ。選手のクオリティだけで言えば、日本は準決勝に進んでもおかしくはない。ひと試合だけならば、日本はドイツやスペイン、クロアチアと対等に戦い、彼らを破ることができることを証明した。

 だが、準々決勝や準決勝では、のしかかるプレッシャーもそれまでとは比べ物にならないほど大きくなる。疲労も蓄積し、ケガ人も増えていく。その点で日本は限界に達したと言えるかもしれない。フィジカル面同様に心理面でも限界だったかもしれない」

 クロアチアとのラウンド16の戦いに敗れたあと、日本ではPK戦に関する論議がにわかに高まった。どうすればPK戦に勝てるかは、どうすればベスト8への壁を突き破れるかと同等の意味を持った。その議論にトルシエは懐疑的である。彼は言う。

「イングランドもPKを外して敗れたという点では、日本と同じだ。フランスもまたPK戦で敗れた。要するに、PKは日本だけの問題ではない。

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