元日本代表・名良橋晃が振り返る現役時代。国立で行なわれたW杯予選、引き分け後の暴動に「いつ帰れるんだ」という恐怖も体験した (3ページ目)

  • 篠 幸彦●取材・文 text by Shino Yukihiko
  • photo by Getty Images

どんな肩書きでもいいから選手権に出てみたい

――現在はいろいろなメディアで解説者として活動されていますが、改めて今の活動について聞かせてください。

 解説者としてサッカーに関する仕事をさせていただいています。そのなかで2018年からJ SPORTSさんで高校生年代を取り上げる番組に出演させてもらうようになって、より若手にフォーカスするようになりました。

――SC相模原ジュニアユースの総監督をされていたり、もともと育成年代へ注力している部分があったんですか?

 現役を退いてから、育成年代の監督やコーチというのはずっと頭の中にありました。逆にトップチームというのはなかったですね。それで番組をやらせてもらうようになって、よりそういった思いが強くなりました。

――では鹿島の育成組織でやりたい気持ちも持っているんでしょうか?

 鹿島はトップクラスのチームで、育成もかなりのスペシャリストの方々がやるものだと考えているので、もちろんやりたい気持ちはありますけど、現状では難しいかなと。でもゆくゆくは、監督でなくコーチでもいいので、育成年代にかかわりたいですよね。

――高体連で注目しているチームはありますか?

 やっぱり僕は千葉出身なので、市立船橋、流経大柏は気になりますね。なかでも市船は強くなければいけないチームだと思うので、とくに気にしているチームです。母校でもなんでもないんですけどね(笑)。

――名良橋さんが高校時代に有名だった、市船の選手はいましたか?

 ひとつ上に野口幸司さんがいました。野口さんは小学校の頃から僕のヒーローで、高校3年生の時に選手権で点を取って活躍していました。

 当時、野口さんがヒザに痛々しいテーピングをしていたんですよ。それがかっこよくて、僕は全然ヒザが痛くないのにマネしてテーピングしていました(笑)。その後、ベルマーレ平塚で一緒にプレーすることになって、すごく運命的な出会いでしたね。

 僕はワールドカップに出させてもらいましたけど、高校サッカー選手権への出場がなく、いまだに憧れの大会なんですよね。だから高体連のチームで、水くみでもマネージャーでも広報でも、どんな肩書きでもいいので関わって、選手権に出てみたいという思いがあるんですよ。だからこれを機にオファー待っています(笑)。

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