湘南ベルマーレの田中聡が日本代表に上り詰めるまで。昨季は「ボールに触るのが怖かった」 (2ページ目)

  • 浅田真樹●取材・文 text by Asada Masaki
  • photo by AFLO

---- 当時、湘南についてはどのくらいの知識がありましたか。

「当時はJ2で独走していた時だったので、来季はJ1に上がんるだなっていうくらいで......。そんなに詳しくは知らなかったです(笑)」

---- 知っている選手はいましたか。

「過去に遠藤航選手(現シュツットガルト)がいたとか、中田英寿選手(元ローマなど)が昔所属していたっていうのは知っていました」

---- 田中選手は今年から中田選手と同じ背番号7をつけていますね。

「特に意味はなくて(苦笑)......、チーム側から『7番が空いているからつけるか』と言っていただいたので、『はい、つけます』って、そんな感じです」

---- ポジションは小さいころからボランチだったのですか。

「パルセイロの時は中盤やFWをやっていて、湘南でもはじめの半年くらいはFWをやっていました。中学の時までは、右からカットインしてシュートとか、左利きっぽいことをやっていたんですけど(笑)。

 でも、FWではなかなか通用しなくて、ボランチに下がったことで自分の特長も変わったので、すごく守備が得意になりました。湘南スタイルというか、対人だったり球際だったりを、監督やコーチから教わったことで習得できたのかなと思います」

---- 湘南U−18時代の2020年には、早くも2種登録でトップチームの試合に出場しています。

「高2の時にお世話になった浮嶋敏監督がトップの監督になったことで、自分が高3になった時に試合で使ってもらうようになりました。

 練習でも、練習試合でも、特にパフォーマンスがよかったわけではないと思うので、チーム内にはたぶん、『なんで聡が出るんだ?』みたいな雰囲気もあったと思いますが、そんななかでも敏さんに使ってもらって、すごく感謝しています」

---- 自分はまだそのレベルにはないのに使ってもらっていた、と。

「練習ではミスばかりで、紅白戦でも全然目立たないという感じでした。それでもベンチに入れてもらいましたし、シーズンの最後のほうはほとんどの試合に出させてもらいました。

 そのおかげで経験を積めたと思いますし、自信もついてきました。当時は(ボランチではなく)DFで出ていましたけど、自分なりに自信をつけるきっかけになったのかなと思います」

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