中村憲剛と佐藤寿人がワールドカップに行けると思った時は?「タマーダのあとがマキじゃなくて...」 (4ページ目)

  • 原山裕平●取材・文 text by Harayama Yuhei
  • photo by AFLO

佐藤 僕の場合は、2005年に仙台から広島に移籍したんですが、日本代表に入るということがひとつの理由でもありました。セレッソでは結果を出せなかったですけど、2003年に仙台に行って9点取ることができて、2004年はJ2でしたけど20点取ることができました。でも、そこで一番感じたのは、J2でいくら結果を出しても、代表には呼ばれないということ。

 高校の時から選抜などで一緒にプレーしていた同世代のオグリさん(大黒将志)がJ1で結果を出して、代表に選ばれたのも刺激になりました。J1とJ2では、1点の価値が違う。代表でプレーすることを考えたら、何年もJ2にいてはいけないという危機感が生まれたんです。もちろん、仙台をJ2に落としてしまったという責任も感じていましたし、葛藤もありましたけど、広島に行くことに決めました。

---- 広島に移籍した2005年に18ゴールを挙げたことで、日本代表入りを果たすことになりました。

佐藤 ワールドカップまで半年というタイミングで初めてジーコジャパンに呼んでもらったんですが、すでにメンバーが固まっているなかで難しさもありました。世間ではメンバー生き残りをかけたサバイバルという感じで煽られていたんですけど、個人的にはワールドカップに行ける可能性は1パーセントくらいだと思っていました。

 でも、FWというポジションはわかりやすいですから、ゴールという結果を出せば、1パーセントを10パーセントにすることができる。もしかしたら最後のワンピースに選んでもらえるかもしれない。そう思いながらやっていました。ジーコさんにもチャンスを与えてもらっていたので、もっと目に見える結果を出していれば、「タマーダ」のあとが「マキ」じゃなくて「サトウ」になっていたかもしれないですね(笑)。

>>後編につづく>>「人生で初めて監督に直談判しに行こうと思った」


【profile】
中村憲剛(なかむら・けんご)
1980年10月31日生まれ、東京都小平市出身。久留米高校から中央大学に進学し、2003年にテスト生として参加していた川崎フロンターレに入団。2020年に現役を引退するまで移籍することなく18年間チームひと筋でプレーし、川崎に3度のJ1優勝(2017年、2018年、2020年)をもたらすなど黄金時代を築く。2016年にはJリーグ最優秀選手賞を受賞。日本代表・通算68試合6得点。ポジション=MF。身長175cm、体重65kg。

佐藤寿人(さとう・ひさと)
1982年3月12日生まれ、埼玉県春日部市出身。兄・勇人とそろってジェフユナイテッド市原(現・千葉)ジュニアユースに入団し、ユースを経て2000年にトップ昇格。その後、セレッソ大阪→ベガルタ仙台でプレーし、2005年から12年間サンフレッチェ広島に在籍。2012年にはJリーグMVPに輝く。2017年に名古屋グランパス、2019年に古巣のジェフ千葉に移籍し、2020年に現役を引退。Jリーグ通算220得点は歴代1位。日本代表・通算31試合4得点。ポジション=FW。身長170cm、体重71kg。

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