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楢﨑正剛がトルシエ監督に抱いた第一印象。「馬鹿にされているような。腹立たしく思うことは結構あった」 (3ページ目)

  • 原山裕平●取材・文 text by Harayama Yuhei
  • photo by AFLO

運命の6月4日の心境は?

 11月に行なわれたイタリア代表戦に招集され、久しぶりに日本代表としてプレーするチャンスが巡ってきた。ところが、試合当日の朝に足首をねんざして、挽回の機会をふいにした。

 しかし、この悪夢のなような出来事で、楢﨑の気持ちが吹っきれることになる。

「本当はそこで挽回できればよかったんですけど、気持ち的には一旦リセットできたんです。今年はそういう年だったんだなって。年が明けたら、またワールドカップに向けてやっていこうと前向きになれたんですよ」

 そのポジティブな思考が、楢﨑を蘇らせることになった。海外に移籍したライバルの川口が所属クラブ(ポーツマス)で出番に恵まれない日々を過ごしていたこともあったが、ワールドカップイヤー初戦となったウクライナ戦にスタメン出場すると、1−0の完封勝利に貢献した。

「やっと出番が巡ってきたなかで、アグレッシブな姿勢は崩さないようにプレーしました。ただ、自分のプレーを出せましたけど、これでポジションを取り返せたとは思っていませんでした。実際に本大会の直前まで、どちらがスタメンかは決まっていない状態でしたから」

 メンバー発表直前のキリンカップで3試合のうち2試合にスタメン出場しても、楢﨑は「自信があったわけではない」と振り返る。そもそも、2001年のトラウマがあったから、ワールドカップメンバーに入れるかさえも半信半疑だったという。

 だから、メンバー発表で自身の名前が呼ばれた時は安堵したものの、4年前に羨望の目で見つめていたワールドカップのピッチに立てるかどうかは、本番前最後の強化試合となったスウェーデン戦でスタメン出場しても、まだ確証を持てないでいた。

 そして迎えた運命の6月4日。日韓ワールドカップ初戦のベルギー戦で日本のゴールマウスに立ったのは、背番号12を付けた楢﨑だった。

 スタメンを聞かされた時、楢﨑の心境はほとんど「無」だったという。

「あらかじめ『出る』って決まっていたら、試合までにいろんなことを考えてしまいそうですけど、あの時は自分のことで精いっぱいで、ほかのことは何も考えられなかったですね。でも、それが逆によかったかもしれません。ネガティブなことを考える余裕さえなかったですから」

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