楢﨑正剛がトルシエ監督に抱いた第一印象。「馬鹿にされているような。腹立たしく思うことは結構あった」

  • 原山裕平●取材・文 text by Harayama Yuhei
  • photo by AFLO

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「日本サッカーの過去・現在、そして未来」
楢﨑正剛インタビュー(前編)

 日本が初めてワールドカップに出場した1998年フランス大会の日本代表メンバーに、当時22歳の楢﨑正剛(横浜フリューゲルス/当時、以下同)も名を連ねていた。

 しかし、3戦全敗に終わったチームにおいて、楢﨑が大舞台のピッチに立つことはなかった。

「メンバーには入っていたんですけど、それまでに代表の試合は2試合くらいしか出ていませんでしたし、当時はワールドカップのピッチに立つのにふさわしい選手ではなかったと思います。

 ただ、あの舞台はベンチから見ていてもやっぱり輝いて見えましたし、出ている選手たちの目の色も違って見えました。そういう舞台を目の当たりにしたことで、『次は自分が......』という気持ちが強くなったことを覚えています」

日韓W杯で正GKを務めた楢﨑正剛日韓W杯で正GKを務めた楢﨑正剛この記事に関連する写真を見る フランスで失意を味わった日本が自国開催の4年後に向けて招聘したのは、当時43歳のフィリップ・トルシエ監督だった。楢﨑は当初、このフランス人指揮官にあまりいいイメージを抱いていなかったという。

「常にヒステリックな感じでしたからね(笑)。日本人の基準がまだ世界に届いてないという意味も含めて、いろんな言葉をぶつけられましたし、ちょっと馬鹿にされているような感じも受けました。腹立たしく思うことは結構ありましたよ」

 しかし、時間が経つにつれ、トルシエ監督の意図が次第に理解できるようになってきたという。

「フォローするような言葉もありましたし、わざと厳しいことを言うようなこともありました。反骨心を促す意味があったんでしょうね。でも、試合中も選手より熱くなるので、逆に僕らが落ち着いてやらないといけないなって(笑)」

 トルシエジャパンのひとつの焦点は、楢﨑と川口能活(横浜マリノス)との守護神争いだった。楢﨑にとってひとつ年上の川口は、フランス大会でも3試合すべてのピッチに立った、いわば格上の存在である。

「能活のほうが先にいろんな舞台に立って経験を積んでいて、僕は追いかける立場にありました。でも、フランス大会が終わってからは、新たな競争が始まるという気持ちでしたね。

 最初はもちろん、向こうがファーストチョイスになるだろうとは思っていましたけど、大きな差があるとは思っていなかったので、ポジションを取ってやろうという想いはありましたよ」

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