稲本潤一が振り返る日韓W杯のチーム内事情。中田英寿との関係性や「ピカイチ」と絶賛した選手との連係 (2ページ目)
---- トルシエ監督に怒られていたイメージが強いですが。
「ユース代表の頃はそんな感じでしたけど、2002年の時はそこまででもなかったかな。言われるだけじゃなくて、満男も言い返すようにもなっていたし、監督からもイチ選手として見られていたと思います」
---- 小野選手に関しては?
「伸二はフェイエノールトでは真ん中のポジションで結果を出していたので、3−5−2の左のワイドをやる難しさを感じていただろうし、葛藤もあったと思います。ただ、本音はわからないですけど、不満も見せず、そこでどうやって自分を出そうかという努力をしていたと思います。
ワイドの場合は守備のタスクも求められますけど、うしろの(中田)浩二(鹿島)としっかりとコミュニケーションを取りながら、ディフェンスでも貢献していましたしね。
そのなかで、やっぱり伸二が持つとタメができるし、攻撃の起点にもなっていた。ベルギー戦の同点ゴールも伸二のパスからですからね。左でも結果を出せるのが、伸二のすごさだと思います」
---- 逆に右サイドには、明神智和選手(柏レイソル)が君臨しました。トルシエ監督も「明神が8人いれば」と相当信頼を置いていました。
「もう、堅実としか言えないですよね。右サイドもできるし、中でもプレーできる。言われたことを確実にこなす安定感があったので、監督としては使いやすい選手だったと思います。右サイドは不慣れだったと思いますけど、そこでも自分の力を発揮できるのは、やっぱりすごいことだと思います」
---- そしてトルシエジャパンの象徴だったのが中田英寿選手です。"孤高のイメージ"が強いですが、実際にチーム内ではどういった存在でしたか?
「メディアから伝わるイメージとは、かなりギャップがあると思いますよ。僕は年下なので、ヒデさんから話しかけてくれることはあまりなかったですけど、同い年のツネさんなり、マツくん(松田直樹/横浜F・マリノス)なり、フクさんなんかとは、かなりしゃべっていた記憶があります。
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