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戸田和幸「最初は強く断った」ボランチ転向。赤髪モヒカン姿で日韓W杯へ挑んだ理由

  • 佐藤 俊●取材・文 text by Sato Shun
  • 藤巻 剛●撮影 photo by Fujimaki Goh

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 2002年日韓W杯でボランチとして全4試合にフル出場。日本のグループリーグ突破に貢献し、高い評価を受けた戸田和幸。赤いモヒカンのヘアスタイルで、プレー同様にその容姿でも存在感を際立たせていたが、日本代表でフィリップ・トルシエ監督の信頼を得て、チームの中軸になったのは、W杯開催の1年前だった。

 2001年のシーズン開幕前、所属する清水エスパルスでいきなりボランチにコンバートされたことが、日本代表入りにつながった。

「それが、自分のターニングポイントになりましたね」

2002年W杯について振り返る戸田和幸氏2002年W杯について振り返る戸田和幸氏この記事に関連する写真を見る 各世代別代表でもセンターバックとして奮闘した戸田は、清水でもそのポジションでレギュラーの地位を確立していた。

 ところが、2000年シーズンまでチーム不動のボランチだったカルロス・サントスがヴィッセル神戸に移籍。伊藤輝悦とコンビを組む相方の選定が急務となった。そこで、当時の指揮官ゼムノビッチ・ズドラブコ監督はいろんな選手を試したが、うまくハマる選手がおらず、最後に声がかかったのが、戸田だった。

「ゼロックス・スーパーカップの前だったんですけど、いきなり言われました」

 その時、戸田は「ほら」と思ったという。

 実は、前年の契約更改の際、サントスの移籍で空いたボランチのポジションはどうするのか、戸田はフロントに問いただしていた。クラブ側からの回答は「若手の誰かが......」というものだった。

 その答えを聞いて、戸田は「チームのへそだぞ。(若手が簡単にできるような)そんなポジションじゃねぇ!」と大きな不安を抱いた。そして実際、キャンプインした時にその問題が露呈。チームはボランチ探しに四苦八苦し、最終的に戸田にたどり着いた。

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