日本代表の惨敗はドイツW杯開幕の5日前に見えていた。甘すぎたジーコへの評価 (4ページ目)

  • 杉山茂樹●文 text by Sugiyama Shigeki
  • 藤田真郷●写真 photo by Fujita Masato

【衝撃のオーストラリア戦メンバー発表】

 韓国を、ヒディンク率いるオーストラリアのいるF組に押し込むことができれば面白い。国民的な英雄であるヒディンクを敵に回し、慌てふためく韓国の人たちの姿が見てみたい......などと、よけいな興味を募らせていたその矢先だった。「JAPAN」のカードがF組にはめ込まれた。

 ヒディンクは韓国を去ったあとも好調で、2004-05シーズンは、PSVを率いてチャンピオンズリーグでベスト4に進出。準決勝で優勝したミランと3-3という大接戦を演じ、世界を沸かせていた。

 ドイツW杯開幕を5日後に控えた2006年6月4日。オーストラリアはロッテルダムのデ・カイプでオランダ代表とテストマッチを行なった。日本はオーストラリアとW杯の第1戦で対戦することになっていた。カギは初戦。誰もがそう口にしていた。敵はどれほど強いのか。筆者は偵察に行ったわけだが、その現場で1-1という結果以上に驚かされたことがあった。ともに記者席でこの試合を観戦していた日本人記者から聞かされたひと言に、こちらは唖然とすることになった。

「ジーコがさきほど、オーストラリア戦の先発メンバーを発表したようです」

 少なくとも日本には選択肢が2つあった。4-2-2-2と3-4-1-2。筆者にはいずれも期待できない布陣に見えたが、それでも選択肢は2つあった。ヒディンクを悩ませるポイントだったはずだ。それを試合の8日前に告知してしまった。なぜサッカー協会の広報担当者は止めなかったのか。

 カイザースラウテルンで行なわれたオーストラリア戦を1-3で落とし、1分け2敗の成績でドイツをあとにすることになった日本の悲劇は、この6月4日の段階で見えていた。

 オーストラリア戦。3-4-1-2の左ウイングバックで先発した三都主が、ハーフウェイラインを越えて相手陣内に進出し、中央にクロスボールを上げた回数はわずか1度だけに終わった。

 日本は3-4-3で臨んできたオーストラリアに対して、大半の時間、5バックで守ることになった。結局、「三都主は守れない、戻れない。その背後は危ない」との指摘は当たらなかったことになる。最終ライン付近で守りっぱなしの状態だったからである。それが三都主の責任でないことは言わずもがなだ。
(つづく)

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