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日本サッカーを育てた名将ランキング。1位はあの世界的指導者か、日本代表元監督か【2021人気記事】 (3ページ目)

  • photo by AFLO

3位:西野朗

"緊急登板"した2018年ロシアW杯で、卓越したリーダーシップを発揮したのはまだ記憶に新しいが、Jリーグ歴代最多勝監督であるうえ、1996年アトランタ五輪代表監督としても実績を残しているのだから、日本サッカー史に残る名将であることは間違いない。

 Jリーグでは、柏レイソルに初タイトル(ナビスコカップ優勝)をもたらし、ガンバ大阪では魅力あふれる攻撃的スタイルのチームを作り上げ、J1初制覇。名古屋グランパスでも、何かしらの結果を残せれば言うことなしだったが、それでも実績は申し分ない。

 マイアミの奇跡で知られるアトランタ五輪も、結果的にグループリーグ敗退に終わったが、世界における当時の日本の立ち位置を考えれば、超のつく大健闘だった。
(浅田真樹/文)

3位:フィリップ・トルシエ

 2002年日韓W杯に向けて、日本代表の強化を任されたのがフィリップ・トルシエだった。同大会で日本は2勝1分でグループリーグを1位通過して決勝トーナメント進出という目標を達成した。

 2000年のアジアカップでも日本は優勝。同大会の国外開催時の優勝はこれが最初であり、しかも前回優勝のサウジアラビアに大勝するなど内容的にも圧勝だった。

 トルシエは単にA代表を強化しただけではなく、いわゆる「黄金世代」を含めた若手中心でチーム作りを進め、1999年のワールドユース(現U-20W杯)で決勝進出。2000年のシドニー五輪でもベスト8進出と、年代別大会でも好成績を残した。

 若い選手たちを生み出したのは日本人指導者の功績だが、彼らを"戦える選手"として鍛え上げたことこそトルシエの最大の功績だ。
(後藤健生/文)

3位:アーセン・ベンゲル

 モナコで1993-94シーズンのチャンピオンズリーグ(CL)準決勝まで駒を進めたアーセン・ベンゲル監督が、その翌シーズン、名古屋グランパスにやってきた。

 マウリシオ・ポチェッティーノ、ジョゼップ・グアルディオラ、ジネディーヌ・ジダン、トーマス・トゥヘル。昨季のCLベスト4の監督で言うならこの4人になるが、当時は情報が乏しかった時代だ。欧州サッカーはまさに遠い存在で、ベンゲルと言われてピンと来る人は少なかった。

 日本サッカーの遅れについて、理解している人も同様に少なかった。日本で初めてプレッシングを提唱した指導者として知られるのは、加茂周元日本代表監督だが、同氏が任期の最後までそれを実現することができなかったのに対し、ベンゲルは就任直後から名古屋にプレッシングを浸透させた。特段、声高にプレッシングを叫ぶことなく、だ。

 日本の指導者がプレッシングを理解したのは、ベンゲルが名古屋を離れてからおよそ10年後。当時の名古屋は、つまり10年進んだサッカーをしていた。
(杉山茂樹/文)

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