悩みに悩んだ日本代表ベストゲーム。駒野友一のなかで鮮明な記憶として残っている2試合とは?

  • 浅田真樹●取材・文 text by Asada Masaki
  • photo by Jinten Sawada/AFLO

日本代表「私のベストゲーム」(4)
駒野友一編(後編)

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 2005年に日本代表に初招集されて以来、駒野友一がこれまでに出場してきた国際Aマッチ数は、通算78試合にも及ぶ。だが、南アフリカで味わった悔しさを晴らすべく、「あの時よりもっとうまくなって、もう一度ワールドカップに出たい」との思いは、いまだ叶えられてはいない。

 40歳でなお現役を続ける寡黙なサイドバックが、正直な胸の内を明かす。

「その悔しさは......、まあ、今でもありますね」

 しかしながら、駒野はこれまでのキャリアにおいて、2度のワールドカップの他にも、年代別代表でのワールドユース選手権(2001年)、アテネ五輪(2004年)と、計4度の世界大会に出場している。

 日本が世界大会に出場するのは当たり前――。そんな時代になったと言っても、これほど充実したキャリアを持つ選手はそれほど多くない。

「日本代表に入らなければ、海外の選手やチームと対戦することはできなかったし、当たり前には経験できないことを、僕は若い頃からさせてもらってきた。年代別代表の時に海外の基準を自分の体で感じることができたので、ワールドカップにも出ることができたと思います」

 そう語る駒野も、実は「海外(のクラブ)でサッカーをやりたかった」。国際経験を重ねるなかで感じた渇望ゆえ、である。

 駒野の海外熱が最も高まったのは、アテネ五輪が終わった2004年の半ば頃。ワールドユースに続き、アテネ五輪でもグループリーグ敗退に終わったことで、「普段から海外の選手とやりたいと思うようになりました」。

 結果的に、「何回か(海外移籍の)話はありましたけど、まとまることはありませんでした」。しかし、だからといって何かを変えることなく、「自分で感じた(海外の)基準を、Jリーグでもしっかりと定めながらやってきました」。その意識の高さこそが、彼を4度も世界の舞台に立たせたのだろう。

 日本代表に海外組が増えていくなか、駒野は必ずしも常に先発メンバーとしてピッチに立ち続けられたわけではないが、それでも長きに渡って日本代表でプレーし続けられたことへの自負はある。

「スタメンであれ、途中からであれ、出場時間に関係なく、常にベストを尽くすことは心がけていました。準備の部分でいい状態を保っていたからこそ、これだけ長く日本代表でもやれたんじゃないかなと思います」

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