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日本代表は「終わる」のか。迅速な監督交代が必要なこれだけの理由 (2ページ目)

  • 杉山茂樹●文 text by Sugiyama Shigeki
  • photo by KYODO

 この瞬間だけではなかった。柴崎は前半から冴えないプレーをくり返していた。柴崎を好む森保監督の目には、それが問題点として留まらなかったということなのだろう。

 しかし筆者の目に、それ以上にダメなものとして映ったのは、後半のアディショナルタイムがプラス4分という時間になって行なわれた5人目のメンバー交代だ。ベンチに下がったのは長友佑都で、ピッチには代わって中山雄太が投じられた。この緊急事態の土壇場に、左サイドバック(SB)同士の交代とは、なんたる暢気なのだろう。センスがないにもほどがある。森保監督は無策ぶりを白日のもとに晒す格好になった。リードしている側の時間稼ぎの交代ではあるまいし、「森保監督では無理だ」と心底、思った瞬間だった。

 サッカーそのものも酷かった。日本がサウジアラビアのサッカーを大きく上回りながら、不運なミスで敗戦したと言うならまだ許せる。同情したくなるが、肝心のサッカーがさっぱりでは、怒りはますます膨らむ。

 うまくない。ひと言でいえば、そうなる。各種スタッツに目をやれば、日本はサウジアラビアに競り合いでは優勢を示したが、ボール支配率で52%対48%と劣っていた。デュエルとかインテンシティとか叫んでいる間に、日本のサッカーは非技巧的で汚くなり、パスが回らなくなってしまったという感じだ。この試合、洒落たパス回しを堪能することは、ほぼ皆無だった。

 特に目立った問題点は、4-2-3-1の3の左で構える南野拓実のポジションだ。実際に南野がそこで構えていたことは、どれほどあっただろうか。8割方、1トップ下で構える鎌田大地の横で、1トップ下が2人いるかのように構えていた。その結果、左サイドは左SB長友ひとりになった。この問題は、筆者がこれまでずっと口を酸っぱく指摘してきた点だが、監督から何も指摘されていないのだなと、あらためて思う。

 たとえば解説者や評論家は、よく「長友に使ってもらうために、あえて空けてあるんです」と言う。だが、サッカーは同じピッチを相手も同時に使う、一種の陣取り合戦的なスポーツだ。空いているスペースは相手に使われてしまうのだ。日本が、左サイドで数的不利な状況に陥れば、サウジアラビアにとって右サイドは、自動的に数的有利な状況になる。

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