森保Jはなぜ「アジアの横綱」らしい戦いができないのか。東京五輪の苦い記憶が蘇る (2ページ目)

  • 浅田真樹●取材・文 text by Asada Masaki
  • スエイシナオヨシ●撮影 photo by Sueishi Naoyoshi

 それでも前半は、MF伊東純也が自ら「入ったと思った」というシュートを放ったのをはじめ、いくつかのチャンス、あるいはチャンスになりそうな場面を作っていたし、ボールを失ったあとの切り替えも速く、高い位置でのプレスもそれなりに機能していた。

 結果として後半のどこかで得点して勝利していれば、難しい状況のなかでもうまく戦っていた前半、という評価になっていたのではないだろうか。むしろ多少の苦戦は、難局にも動じない"横綱相撲"と箔をつける材料になっていたかもしれない。

 ところが、後半に入ると、日本は防戦一方と言っていいような試合を強いられた。

 全体が間延びしてスペースを空けてしまった日本を尻目に、オマーンの選手は楽々とドリブルを仕掛け、パスをつなぎ、いくつものチャンスを作り出した。

 試合を見ていても、〈負けなかったことをよしとしなければいけない引き分け〉。そんなフレーズが何度も頭に思い浮かんだが、結局、引き分けどころか、勝ち点1すら与えてはもらえなかった。

 もちろん、最悪の結果に至ったのには、いくつかの要因がある。

 そもそも海外組は新シーズンが始まったばかりで、コンディションが上がり切っていないうえに、週末のリーグ戦を終えて帰国したばかり。移動の疲れや時差も重なり、コンディションがいいはずはなかった。

 また、森保一監督が就任して以降、現在の日本代表はコンパクトな布陣で厳しくプレスを仕掛ける戦い方がコンスタントに、しかも高いレベルでできるようになってはいたが、一方で戦術的柔軟性に欠けるとでも言おうか、それができない時の脆さも顕著だった。

 この日のオマーン戦でも、後半は意図的に間延びさせられ、日本が得意とする形に持ち込ませてもらえず、そこに自らのイージーミスも重なって、ひたすら後手を踏んでいた。

 吉田は試合後、「アジアのレベルは年々上がっている」と認めつつも、「日本はアジアで一番強いチームだと思っている」と話していたが、この試合の戦いぶりからは、"横綱"にふさわしい余裕や貫禄といったものは感じられなかった。

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