遠藤保仁vs中村憲剛。どっちのスルーパスがすごかった? 玉田圭司が詳細解説 (4ページ目)

  • 篠 幸彦●取材・文 text by Shino Yukihiko
  • photo by Getty Images

 僕が代表でプレーした時代は彼らに限らず、優れたパスの出し手がたくさんいました。例えばヒデさん(中田英寿)は「ここ通すんだ」と思わされることが多かったですね。全然スペースがないところをパススピードで補って通してきたり、「トラップして前向けよ」と言われているわけではないけど、それでターンができればチャンスになるといったパスもあったり、すごく勉強になりました。

 最近はそうした優れたパスの出し手が、なかなか生まれてきていない印象です。それは、中盤でよりハードワークできる選手が評価されているのも影響していると思います。

 そんななかでも、セレッソ大阪時代に一緒にプレーした山口蛍選手や、若手では川崎フロンターレからデュッセルドルフ(ドイツ)に移籍が決まった田中碧選手は、ハードワークができてゲームメイクもできる。なおかつ相手を潰すこともできるという、今の時代にあった良い選手だと思います。

 彼らのようにハードワークができるのは大事ですが、やっぱりヤットさんや憲剛のようなタイプの選手もピッチにいたほうが僕は面白いと思うし、お客さんも見ていて楽しいはずです。僕自身、一緒にプレーして成長もさせてもらえました。

 日本代表で長く貢献してきた2人ですが、ヤットさんはまだ現役で、憲剛も40歳までトップレベルで現役をつづけました。それだけ長いキャリアを送れるのは、彼らの技術が本物であることの証明だと思います。

 2人のような選手が、日本からまた生まれてほしいですね。

遠藤保仁
えんどう・やすひと/1980年1月28日生まれ。鹿児島県鹿児島市出身。鹿児島実業高から98年に横浜フリューゲルス入り。99年から京都パープルサンガ、01年からガンバ大阪でプレーし、2度のリーグ優勝などに貢献。20年からはジュビロ磐田でプレーしている。J1通算641試合出場103得点。MVP1回、ベストイレブン12回。日本代表はAマッチ152試合出場15得点。06年ドイツW杯、10年南アフリカW杯、14年ブラジルW杯メンバー。

中村憲剛
なかむら・けんご/1980年10月31日生まれ。東京都小平市出身。都立久留米高-中央大を経て、03年に川崎フロンターレ入り。以降20年シーズンの引退まで、J1通算471試合出場74得点。MVP1回、ベストイレブン8回。チームの3度のJ1優勝に貢献し、黄金期をつくり上げた。日本代表はAマッチ68試合出場6得点。10年南アフリカW杯メンバー。

玉田圭司
たまだ・けいじ/1980年4月11日生まれ。千葉県浦安市出身。市立習志野高から99年に柏レイソルに入団。06年からは名古屋グランパスでプレーし、チームのリーグ初優勝に貢献。その後15年からセレッソ大阪、17年から名古屋、19年からV・ファーレン長崎でプレーしている。J1通算366試合出場99得点。日本代表はAマッチ72試合出場16得点。06年ドイツW杯、10年南アフリカW杯メンバー。

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