日本代表、南アW杯でオランダに完敗。本田圭佑にそのオランダの水が合っていたのはなぜか (3ページ目)
◆日本代表が演じた激しい撃ち合い。イタリアサッカーへのコンプレックスはなくなった
「エゴイストで、日本では珍しい選手だった。プロは自分がどれだけやるかで評価される。だからエゴは出すべきで、失敗したら自分に返ってくるけど、そんなことを恐れていたら始まらない。中田という選手はそうやって、あそこまで辿り着けた。これから先、それを見習って、追いつき追い越せでいかなければならない。彼のような選手が何人も出てきて初めて、世界と渡り合える」
彼はその精神で挫折を糧にしていった。
2008年の北京五輪でも、本田はオランダに打ちのめされている。その敗北が反骨を強め、同時に論理的戦いを考察させた。彼が何かとオランダと結びついているのは天運だったのか。
「結局、攻撃の選手はゴールをしないと世界では認められない。わかりやすい結果が必要だ」
本田は2008年の年始に移籍したオランダリーグ、VVVフェンロでのデビューシーズンはわずか2得点で、チームも2部に降格した時、そう割り切って殻を破っている。2部でゴールを決めまくってリーグのMVPに輝き、1部昇格のエースになった。「無理だ、できない」と弱音を吐かず、それを可能にするために合理性を突き詰めた本田は、誰よりもオランダの水に合っていた。
(つづく)
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