ちょうど20年前、「史上最強」と
称された日本代表を知っているか? (5ページ目)
激闘を終えたばかりのシドニー組には、心身両面で疲労が残っていたはずだったが、名波の目には、彼ら若い選手たちが頼もしく映っていた。
「自分が代表デビューしたときのことを考えると、テツさん(柱谷哲二)に言われるがまま動いていただけだったから。それとは雲泥の差だよね(笑)。何かあっても、(最年長の)オレに言ってくるとか、そんな感じじゃなかった。いつものリズムのままやって、問題が起きても自分で解決できたり、仲間内で消化できたり。やっぱり、アジアを何回も突破しているヤツらは強い。あいつらについていけば大丈夫かな、くらいにオレは思っていましたね」
若い世代にすれば、名波が考えるほど余裕綽々だったわけでもない。明神は、「正直、半信半疑な部分もあった」と言う。
「それまでが年齢制限のある大会だったので、そこでは世界に通用する部分を感じていても、A代表になったときにどうなるのかな、っていう感じはありました」
ただ、とつないで、明神が続ける。
「ピッチ条件、レフェリングなど、環境に対するストレスは、気候も含めて一切なかったですね」
名波から見れば、経験に裏づけられたその落ち着きだけでも、大きな違いだったのだろう。
30代の選手はひとりもおらず、最年長は1972年生まれの名波、森島寛晃、海本慶治。最年少は1979年生まれの高原直泰、稲本潤一、小野伸二。
平均年齢およそ24歳という驚くべき若さの日本代表は、異なる世代が互いに融合を図りながら、決戦の舞台へと旅立った。
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