ちょうど20年前、「史上最強」と
称された日本代表を知っているか? (2ページ目)
しかし、初のワールドカップ出場へ高まる機運に待ったをかけるように、1993年10月には"ドーハの悲劇"でまたもアジア予選敗退。その後、1998年のワールドカップ出場を目指して再スタートした日本代表も、1996年アジアカップでは準々決勝であっけなく敗れていた。
結果的に日本は2年後、ワールドカップ初出場を果たすのだが、アジア最終予選はグループ2位に終わり、第3代表決定戦を勝ち抜いた末の、冷や汗ものの出場権獲得だった。
2000年アジアカップ優勝――。それは、アジアにおける日本の立場がまだまだ脆弱だった時代に突如起きた、衝撃的な出来事だったのである。
2000年アジアカップについて振り返る名波浩氏 名波浩が初めてアジアカップに出場したのは、1996年大会だ。準々決勝でクウェートの狡猾なカウンターに屈し、ベスト8敗退。「これが(アジアで勝てない)日本なんだなっていうのを強く感じてしまって、翌年に始まるワールドカップ予選も難しくなってしまった」。そんな感想とともに脳裏に刻み込まれている。
当然、2000年のアジアカップを前に「4年前の雪辱という意識は強かった」。
「4年前は、加茂(周。1996年当時の日本代表監督)さんのゾーンプレスが、日本を研究する国を相手にすると、なかなかハマらない大会になってしまって......。優勝候補に挙げられながら、ベスト8であっさり負けてしまった不甲斐なさもあったし、アジアで勝たなきゃいけないっていう使命感は、1996年のときより強く生まれていました」
2 / 5