井原が明かす韓国戦の豪快ミドルと悪夢のPK、ファルカンのスピード解任

  • 佐藤 俊●取材・構成 text by Sato Shun
  • 高橋 学●撮影 photo by Takahashi Manabu

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私が語る「日本サッカー、あの事件の真相」第14回
早すぎたファルカン招聘。日本代表の失われた1年~井原正巳(3)

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 1994年10月11日、パウロ・ロベルト・ファルカン監督が指揮する日本代表は、広島スタジアムでアジア大会の準々決勝、韓国戦を戦った。

1994年アジア大会準々決勝、韓国戦のスタメンメンバー。photo by (C)Shinichi Yamada/AFLO1994年アジア大会準々決勝、韓国戦のスタメンメンバー。photo by (C)Shinichi Yamada/AFLO 準々決勝ながら事実上の決勝戦と言われた試合は、序盤から韓国が並々ならぬ闘志で日本の前に立ちはだかった。執拗なサイド攻撃から中にクロスを入れ、黄善洪(ファン・ソンホン)らに合わせる。セカンドボールは韓国に奪われ、日本はリズムを失った。

「日本に勝つという気迫がすごかった」

 DFラインの中心だった井原正巳が感じたのは、以前にも増して強くなった「日本だけには負けない」という韓国の強烈な敵対心とプライドだった。

 井原が筑波大学の学生で初めて日本代表に招集された時は、韓国にまったく歯が立たなかった。強いフィジカルとスピードに押し込まれ、いつも煮え湯を飲まされてきた。だが、92年ダイナスティカップのグループリーグで0-0のドロー、そして決勝で2-2のあとのPK戦で勝って優勝してから流れが変わった。93年アメリカW杯最終予選では1-0で勝利し、ここ2年間負けていなかったのだ。

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