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トルシエが怒って教えたフラット3。
中田浩二はスプーンの動きを反復 (2ページ目)

  • 佐藤 俊●取材・構成 text by Sato Shun
  • 高橋 学●撮影 photo by Takahashi Manabu

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 中田は帝京高校時代にボランチに転向し、才能を開花させた選手だった。

 だが、フィリップ・トルシエが日本代表監督になってから、中田はボランチではなく、フラット3の戦術において重要なキーを握る最終ラインの一角(左センターバック)に指名された。

「センターバックをやることに抵抗はなかったですね。前年のアジアユースは試合に出られなかったですし、ボランチにはイナ(稲本潤一)、ヤット(遠藤保仁)、酒井(友之)がいた。みんなに負けていると思わなかったけど、ボランチで試合に出るのは大変でした。そのときは試合に出たいという気持ちしかなかったし、試合に出られればどこのポジションでもいいと思っていました」

 ボランチの選手がセンターバックに入るのは、今はそれほど珍しくはない。06年から日本代表を率いたイビチャ・オシム監督が"ポリバレント(多様性)"という言葉を広め、阿部勇樹がセンターバックを務めたり、ザッケローニ監督時代には今野泰幸が代表でセンターバックとしてプレーした。しかし、当時のコンバートは少し異例だった。

 中田は、どういう意識でセンターバックをやろうとしたのか。

「センターバックだけど、僕の意識の中ではボランチの延長線上でした。当時のセンターバックはマンツーマンタイプが多く、がっつりFWをマークして離さない守備が主流だったし、僕はツジ(辻本茂輝)みたいに人に強いタイプではなかった。バランスを見ながらチャレンジとカバーを繰り返すタイプだったんです。ディフェンダーとしての知識も経験もなかったので、左のセンターバックに入っても、やっていることはボランチとそんなに変わらなかったですね」

 とはいえ、センターバックとしての基本的な動きや間の取り方など独特のものを得るためには「学び」が必要だった。リベロの手島和希、そして右センターバックの辻本茂輝と3人で"フラット3"を形成する中で、トルシエからいちばん指導を受け、叱咤されていたのが中田だった。

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