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トルシエのモノマネも。20年前、
加地亮の行動はすべてチームのために (2ページ目)

  • 佐藤 俊●取材・構成 text by Sato Shun
  • 説田浩之●撮影 photo by Setsuda Hiroyuki

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「左サイドには攻撃的なモト(本山雅志)がいたので、酒井が後ろに下がって4バックになるときもあるんですが、そのときの全体のバランスも非常によかった。しかも(酒井は)、攻撃のときはめっちゃ走って、前へ上がっていったからね。あの暑いなか、しんどいやろうなって思っていたけど......」

 加地は当時を振り返ってそう語ると、「実際、自分が試合に出たとき、ホンマにキツかったぁ~」と言って苦笑した。

 加地がそう回想した試合は、準決勝のウルグアイ戦だ。

 前半を終えて日本が2-1とリードしていたが、ゲームの主導権を握っていたのはウルグアイだった。その状況を打破し、守備の立て直しを図るため、トルシエ監督は後半から本山に代えて加地を投入した。

 加地はピッチに立つと、すかさずオーバーラップして左サイドを駆け上がっていった。その瞬間、体に異変を感じた。

「最初の1本目のスプリントですよ。(前線に)上がっていったら、息がめっちゃ上がって、全然(守備に)戻られへんかった。これは、しんどいって思ったね。

 試合が終わったあと、ヤット(遠藤保仁)に『めっちゃバテてたやん』って言われたけど、そりゃそうやで。めっちゃ暑いし、日々の練習だけやとなかなか体を追い込み切れへんからね。それで、ポンと試合に出て、勢いで『いったれー』って思っていったけど、エライことになった。

 そのあとは、とりあえず勝っているんで、守備をしっかりして、上がれるときだけいこうと思った」

 加地の途中出場にベンチは大いに沸いたという――。

 大会に入ると、「レギュラー組」と「サブ組」と否応なく分かれることになる。酒井とのポジション争いに負けた加地は、控えに甘んじることになった。それでも、加地は「試合に出られへんのは苦じゃなかった」と言う。

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