トルシエのモノマネも。20年前、
加地亮の行動はすべてチームのために
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世界2位の快挙から20年......
今だから語る「黄金世代」の実態
第4回:加地亮(前編)
「俺、ワールドユースに行けるんかなぁ......」
1999年ワールドユース(現・U-20W杯)・ナイジェリア大会で、U-20日本代表は準優勝に輝いた。その数カ月前、同代表チームがフランス&ブルキナファソ遠征を実施した際、遠征メンバーのひとりである加地亮(かじ・あきら)は、そんなことを思っていたという。
「本大会では、合宿メンバーから数名が(代表メンバーから)落ちるわけじゃないですか。このメンバーと『一緒にいたい』というより、このメンバーの中で『生き残れるのかなぁ』って、(遠征中は)そのことばかり考えていた」
1999年ワールドユースについて振り返る加地亮 のちの2006年ドイツW杯では、日本代表不動の右サイドバックとして奮闘した加地だが、当時はまだ、この世代で確固たる地位を築いてはいなかった。実際、ワールドユースの予選となるアジアユースでは本職のサイドバックではなく、センターバックで起用されたこともあった。最終的に同予選でチームは準優勝という結果を残したが、加地自身は出場機会がほとんどなく、他の選手たちとは「まだ実力的な開きがある」と思っていたという。
それでも、アジア予選を突破後、A代表と兼任でU-20代表も指揮することになったフィリップ・トルシエ監督は、安定した守備を見せる加地を評価。フランス&ブルキナファソ遠征を経て、本番に挑む18名の代表メンバーにも加地を選出した。
そして、加地は3-5-2の右アウトサイドのポジションを酒井友之と争うことになった。だが、レギュラーの座を得たのは酒井だった。本来、酒井の本職はボランチだが、「(酒井は)安定感があって、計算できる選手やったね」と加地は言う。
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