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師はラモス瑠偉。W杯3回出場の
茂怜羅オズはなぜ日本を選んだのか (3ページ目)

  • 原山裕平●取材・文 text by Harayama Yuhei
  • photo by JFA/AFLO

 だからこそ、日本人になって、日本にビーチサッカーの文化を根づかせたいと考えるようになった。それが「新しいチャレンジをしたい」と来日した茂怜羅の使命となったのだ。

 その想いを後押ししてくれたのが、先駆者の存在だった。

 ラモス瑠偉――。現在ビーチサッカー日本代表監督を務める熱き男は、20歳で来日し、日本に帰化し、日本にサッカー文化を根づかせた功労者のひとりだ。そんなラモスが歩んだ道のりを、茂怜羅はビーチサッカーの世界で辿りたいと考えている。

 2009年にレキオスBSが活動場所を沖縄から東京に移すと、茂怜羅もチームとともに東京へと移り住んだ。そこで、当時もビーチサッカーの日本代表監督だったラモスと出会い、「日本人になりたい」という想いを告げた。すると、ラモスは自身の経験や人脈を駆使し、茂怜羅の帰化のために尽力してくれたという。

「当初は日本人になりたい、日本代表に入りたいと思っていても、何をしていいか正直わからなかった。でも、ラモスさんに会ってから、いろんなことが動き出しました。ラモスさんには当時からいろいろお世話になっています。

 まだJリーグができていない時にブラジルから日本に来て、日本人になって、日本代表になって、できたばかりのJリーグも引っ張っていった。ビーチも今はプロリーグがないけれど、ラモスさんと同じようなことをやってきたいと思っています」

 ラモスが協力してくれる一方で、自身も日本語の習得に努力を惜しまなかった。そして2012年12月12日、茂怜羅オズは日本人となった。

 すぐに日本代表に選出されると、翌年にはキャプテンとしてワールドカップに出場。ベスト8進出に貢献し、準MVPにあたる「シルバーボール」に輝いている。

 ブラジル代表にも選ばれる実力を持ちながら、ビーチサッカー不毛の地に根を張り、日本にビーチサッカーの花を咲かせたいと心血を注ぐ――。なぜ、茂怜羅はそこまでのモチベーションを備えられるのか。

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