2019.03.08

師はラモス瑠偉。W杯3回出場の
茂怜羅オズはなぜ日本を選んだのか

  • 原山裕平●取材・文 text by Harayama Yuhei
  • photo by JFA/AFLO

 今年11月、ビーチサッカーのワールドカップがパラグアイにて開催される。日本代表はこれまで全9大会に出場し、最高成績は2005年大会の4位。前回の2017年大会は、グループステージ敗退に終わっている。

 10回目の出場権を獲得すべく、サムライたちはアジア予選の行なわれるタイへと旅立った。その日本代表のなかに、ブラジルからやってきたビーチサッカー界のスターがいる。ビーチサッカーの盛んなブラジルを離れ、なぜ彼は日本にやってきたのか――。

ビーチサッカーの日本代表としてW杯に過去3度出場している茂怜羅オズ ワールドカップに3度出場し、バルセロナで世界一の称号も手にした(※)。世界の年間ベストプレーヤーのひとりに、実に4度も選出されている。そんな日本人選手がいることをご存じだろうか。

 サッカーの話ではない。ビーチサッカーである。しかし、競技は異なれども、これほどまでに輝かしいキャリアを持つ日本人アスリートは、そうそうお目にかかれないだろう。

 茂怜羅(モレイラ)オズ。サッカー王国ブラジルからやって来た砂の上の英雄は、今、日本人として世界にその名を知らしめている。

(※)FCバルセロナの運営するビーチサッカークラブに所属し、2014年に世界ビーチサッカー選手権で優勝した。

 茂怜羅がビーチサッカーを始めたのは、6歳の時。リオデジャネイロの海のそばで育った彼にとって、ビーチサッカーは身近な存在だった。

「コパカビーチのすぐそばに住んでいたのですが、そこで家族の知り合いがビーチサッカースクールをやっていたので始めました。サッカーも好きだったんですが、サッカー場が近くになかったので、自然とビーチサッカーにのめりこむようになりました」

 もっとも、ビーチサッカーの世界ですぐさま才能を開花させた茂怜羅だったが、周囲からは将来を考えて、サッカーを薦められるようになる。実際に14歳の時、地元サッカーチームのヴァスコ・ダ・ガマからの誘いも受けた。しばらくはビーチサッカーとサッカーの二足の草鞋(わらじ)を履いたが、気づけばスパイクを履く自分の姿に違和感を覚えるようになったという。