2004年アジア杯準決勝、奇跡の逆転勝利をもたらした宮本恒靖の独断 (3ページ目)

  • 佐藤 俊●取材・文 text by Sato Shun
  • 甲斐啓二郎●撮影 photo by Kai Keijiro

 宮本の咄嗟の判断は、ヨルダン戦でPKのサイド変更をレフェリーに伝えたときと同じように、「ここでは負けられない」「勝つためにはどうしたらいいのか」という考えから、逆算して導き出したものだった。だが、他の選手にとっては「えっ?」という予期しないものだった。

 実際、このバーレーン戦の試合後、前線でプレーすることを指示された中澤は、「あの時間帯だし、ツネさん(宮本)に言われなければ、絶対に前には上がらなかった」と語っている。つまり、それほどの"奇策"だったのだ。

 そして後半45分、その中澤の頭から同点ゴールが生まれた。左サイドの三都主アレサンドロからのニアへのクロスを、低い体勢で飛び込んで決めた。

 この中澤の起死回生の同点ゴールに、宮本は何か神がかったものを感じたという。まさに奇跡的なゴールだったが、その得点への呼び水となったシーンを宮本が振り返る。

「佑二に『上がれ』と指示したあと、MF西(紀寛)がDF加地(亮)と代わってピッチに入ってきたんです。西は、それまで全然試合に出られなくて、悔しい思いをしていたんですが、(楢崎)正剛ら他のベンチメンバーたちがベンチの前に出て、ピッチを駆ける西を応援していたんです。それを見たとき、最初から試合に出ているオレらは、『絶対に結果を出さなければ』という思いが一段と強くなりましたね」

 その気持ちが、中澤のゴールにつながった。

準決勝のバーレーン戦、土壇場で中澤が同点ゴールを決めた。photo by (C)Ryuichi Kawakubo/AFLO SPORT準決勝のバーレーン戦、土壇場で中澤が同点ゴールを決めた。photo by (C)Ryuichi Kawakubo/AFLO SPORT

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