宮本恒靖が語る、アジアカップで優勝するために必要な「2つの条件」
私が語る「日本サッカー、あの事件の真相」第9回
奇跡の連続だったアジア杯中国大会の真実~宮本恒靖(3)
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2004年アジアカップ中国大会の決勝は、北京の工人体育場で行なわれた。スタンドは6万を超える観衆で埋め尽くされていた。
スタジアムに向かう日本代表のバスには、ブロック片が投げつけられ、沿道から容赦ないブーイングが浴びせられ続け、また日の丸にも火がつけられていた。その異常な光景をバスの中から見ていた宮本恒靖は、燃え滾(たぎ)る闘志を抑えるのに必死だった。
まさしく完全なアウェーのなか、「この満員のスタジアムを黙らせてやろう」とあらためて決意したのだ。
試合は前半22分、福西崇史のゴールで日本が先制したが、すぐに同点ゴールを奪われる。スタジアム内で大歓声がこだまし、ピッチ内の声は通りにくくなり、スタンドの中国人ファンから放たれる"圧"はマックスに達していた。
しかし、宮本は「必ず勝てる」と思っていたという。
「試合前に『負けるはずがない』――そう思って、試合に臨むのは初めてだった。そのくらい自信があった。それは、大会を勝ち進んでいくごとに『この時間帯はこうしよう』とか、選手みんなが同じことを考えられるようになっていたから。
それにここまで、苦しい試合を経験し、勝ってきたことで、チーム内に一体感が芽生えて、選手間の信頼関係も深まった。試合展開も、ヨルダン戦やバーレーン戦に比べると『ぜんぜん楽だな』という感覚があったので、同点にされても不安や焦りなどはまったくなかった」
日本はその後も落ち着いてゲームを進め、後半20分に中田浩二のゴールで再びリード。さらに、アディショナルタイムに玉田圭司がダメ押しゴールを決めて3-1で勝った。それまでの苦戦がまるで嘘のような、余裕の勝利で優勝を飾った。
宮本ら日本代表の選手たちが歓喜の声を上げるなか、スタンドを埋め尽くしていた中国人ファンはぞろぞろと出口へと向かっていった。
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