クラブで不遇の柴崎岳に
嫌な質問をぶつけた。「試合勘の影響は?」 (3ページ目)
一方で、ミスがなかったわけではない。とりわけ前半はパスミスが目立ったし、守備の部分でもプレスをかけるものの、取り切るところまではいけない。その意味で物足りなさがあったのも事実だ。
ただし、そこには観る側の偏見があるようにも思う。クラブで試合に出られていない柴崎に対する懐疑的なイメージだ。
都合のいい言葉を使えば、「試合勘の欠如」というフレーズだ。ちょっとミスをすれば、「試合勘が足りないからだ」と短絡的にそこに結びつける。過去にも所属クラブで出番を失いながら代表に選出されていた香川真司(ドルトムント)や本田圭佑(メルボルン・ビクトリー)らも、同様の指摘を受けていた。
では、試合勘とは何か――。日常のトレーニングでは体感できない、感覚的な部分を指すだろう。
体力、スピード、球際の強さ、プレー強度、あるいはメンタル面......。真剣勝負のテンションでなければ培えないもの、と定義づけられるかもしれない。おそらく、その感覚は人それぞれであり、当人しかわかり得ないものだろう。そしてそれは、他人には知られたくない弱みでもあるはずだ。そう理解しながら、柴崎に聞いてみた。
「今日の試合で試合勘の影響を感じることはあったか?」
我ながら、嫌な質問だと思った。しかし、生真面目なボランチは顔色ひとつ変えずに、持論を述べた。
「試合勘という表現は難しいですけど......」。そう前置きしたうえで、柴崎は続ける。
「僕自身、集中力を持って、今の自分にできることを最大限やろうとしている。そうやって取り組んでいることが、今の自分のマックスかなと思います。修正していかなければいけないこと、よかったことを伸ばしていくこと。今日の試合で感じたことは、続けてやらなければいけないことだと思っています」
試合に出られない状況は、プロのサッカー選手として耐え難いものであるはずだ。しかし、置かれた状況を理解したうえで、そのなかでできることを全力でやり切るしかない。試合勘を培えないなら、他のもので補えばいい。つまり、試合勘の欠如など、言い訳に過ぎないのだ。
野暮なことは聞くなよ――。
クールな司令塔のまっすぐな瞳は、そう言っているように見えた。
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