初動のミスはケガのもとになる。
杉山氏が代表監督選びに警鐘を鳴らす (5ページ目)
結局、この2試合には、新監督となったアルベルト・ザッケローニは間に合わず、原博実技術委員長が代理監督を務めたのだが、これなどは何の問題もない話だ。その試合を中継するテレビ局やスポンサーにとっては重要な問題かもしれないが、強化にはまったく支障がない。
さっさと次に進みたがっている人が、この世界にいかに多いことか。その慌ただしさに紛れて、事態があらぬ方向に進みやしないかと、心配になる。
気になるのが、ヘンに日本を持ち上げる報道だ。「日本人スタッフで勝ち取った結果」なる分析記事には、口をアングリと開けたくなった。西野ジャパンのサッカーは、日本人だけで作り上げたものなのか。違うでしょうと、声を大にして言いたくなる。
アギーレやオシム、ザッケローニの存在なしに、日本代表のいまのサッカーはない。その延長上にあるサッカーであることは紛れもない事実だ。ハリルホジッチの影響だって、絶対的に存在する。1から100まで日本人スタッフで考えたような言い回しには、図々しさを覚える。驕り、謙虚さの欠如にも程がある。
田嶋会長以下がよく使う「ジャパンズ・ウェイ」なる言い回しにも、同種の違和感を覚える。「日本人に適したサッカーの追究」という意味で用いられるなら許されるが、受け取りようによっては、排他的にも聞こえる。そうしたなかで聞こえてくるのが、例えば「森保一コーチ、新監督就任か」の声だ。そこに誘導されているような気にさえなる。
森保氏がこれまで披露してきたサッカーと、西野ジャパンのサッカーは決定的に違う。それについて述べると長くなるので、詳細はまた次回にさせてもらうが、「ジャパンズ・ウェイ」という点では一致を見る。勝手な解釈、都合のよい解釈を見過ごすことはできない。
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