シリア戦大勝に隠れた病巣。日本はなぜ格下に「撃ち合い」を演じるのか (3ページ目)

  • 杉山茂樹●文 text by Sugiyama Shigeki 藤田真郷●写真 photo by Fujita Masato

 サッカーはマイボールの時にも守備ができるスポーツであり、相手ボールの時にも攻撃ができるスポーツだ。攻めながら守り、守りながら攻める。奪われることを想定しながら攻撃するスポーツであり、奪った瞬間のことを想定しながら守備をするスポーツでもある。

 奪われたら大慌て。大量リードしているにもかかわらず、なぜ4対5のような数的不利な状況に陥るカウンターを浴びてしまうのか。

 奪われた時のことを想定しながらプレーしていないからである。ボールの運び方、攻撃のルート、選手のポジショニング等が、セオリーから大幅に外れているために起きる現象だが、これはいまに始まった話ではない。ブラジルW杯の敗因そのものだ。コロンビア戦(●1-4)はその典型的な試合。悪い奪われ方がそのまま決定的ピンチにつながった。

 長谷部誠主将は、コロンビアに大敗した試合後、「それでも我々は攻撃的サッカーはできた」と胸を張ったが、その攻撃的サッカーは、今日的な攻撃的サッカー(効率的サッカー)ではない。非効率極まりない独自解釈の攻撃的サッカーだ。そこのところを正してくれる監督こそが日本には必要不可欠なのだ。

 にもかかわらずハリルホジッチは手をこまねいている。問題を抱えていることを認識しながらも、手を講じることができていない。有効な指導が行なえていない。この現状からいち早く脱しない限り日本は危ない。僕はそう見ている。今のままなら、前回より早い段階で負ける。

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