リオ世代の活路。手倉森ジャパンは予選本番で強くなるしかない (2ページ目)
「世間ではバルサに合う選手をスカウトする、というように思われているかもしれない。でも、合う、合わないということはないんだよ。我々は、サッカーがうまい子を求める。それは小手先のうまさではない。スピード、テクニック、メンタル、そのうえでトッププレーヤーは"なにか"を持っているか。また、人間としてのキャラクターを持っていることも大事。厳しい場面でも戦えるかどうか」
事実、バルサはかつてカルレス・プジョルのように技術的に拙(つたな)い選手をチームに引き入れ、その闘争心を発揮できる性質に価値を見いだしている。闘争するごとに強くなる、その可能性にクラブは賭けた。プジョルは強力なアタッカーと相対するたび、己の欠点を解消することができたのである。それはインテンシティというひと言では片付けることができない、"なにか"だったのかもしれない。
一方、日本サッカーがセンターバックなど守備の選手にボールスキルの高さを求めたのは決して間違いではないが、そこにばかり執着してしまった。プジョルの持っていた"なにか"を見過ごした。守りの選手は、生来的に受け身にならざるを得ない。まずは相手アタッカーと堂々と戦える闘志と局面を生き抜く修正力を持っていなければならないのである。
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