あれから20年。いま日本人が「ドーハの悲劇」を振り返る意味 (2ページ目)
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日本は前半、三浦知良のゴールで先制。後半に入って追いつかれるが、中山雅史のゴール再び引き離す。だがロスタイム、ショートコーナーからオムラムのヘディングシュートが決まり、同点に追いつかれた オフト元代表監督に話を聞いたのは、いまから8年前。12年経てば、当時を客観的に語ってくれるだろうと思ったからだ。会話を弾ませようと「運がなかったですね?」と水を向けると、老眼鏡の奥を光らせ、怒ったような表情でハッキリとこう断言した。
「運がなかった? いや違うね。いいかいキミ、想像してみてくれ。イラクにあれだけゲームを支配されていたんだぞ。ずっと危険だと思っていたし、チームも操縦不能な状態に陥っていた。私は最後の最後まで勝利を確信することができなかったよ。12年前、ドーハで起きた出来事は、きわめてノーマルな結果だといまでも思っているよ」
とはいえ、劇的であったことも事実。さすがの僕も、同点ゴールを奪われた瞬間、絶句した。周囲に座る記者の中には、涙する者も少なくなかった。だが、ほどなくすると僕は我に返り、拍手を送りたくなっていた。
「世の中に、これ以上のエンターテインメントはあるだろうか」
その現場に立ち会えた喜びがこみ上げてきた。映画を見て泣く人はいるけれど、スポーツを観戦して泣く人は多くない。事件が起きたのはロスタイム。最後の最後にとんでもない事故に見舞われたわけだ。天国から地獄、を地でいくシーンに遭遇できたことを、僕はラッキーに感じていた。後にドーハの悲劇として語られることになったこの事件は、紛れもないエンターテインメントだった。
ヨハン・クライフへのインタビューが叶ったのは、その直後だった。そこで彼は名言を吐いた。
「勝つときは少々汚くても良いが、敗れるときは美しく」
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