【プロ野球】「クビになりそうな選手でも、まだもったいない」 若菜嘉晴が見た近藤貞雄の"人を生かす力" (2ページ目)
一塁と三塁の入れ替えについては、田代の守備の負担を軽減する良策と受け止められた。一方、二塁と遊撃の入れ替えは、キャンプ中から批判的な目で見られていた。近藤は「山下のスピードの衰え」を理由に挙げたが、二塁では体の動きが逆になるため、周囲から疑問視されたのだ。それでも敢行した監督を、一捕手として若菜はどう見ていたのだろう。
「いや、どうということはないですよ。はっきり『入れ替える』と言ってくれましたし、内野に変化を出せばよかったわけですから。で、田代はバッティングを優先させたのに空振りばっかりするんで、近藤さんが『目の検査に行ってこい』と。それで眼鏡をかけるわけです。本当に選手をよく見ていたし、人を見る目が若干、違っていたのかもしれないですね」
【近藤野球から一転した若菜の立場】
コンバートも、スーパーカートリオも、選手に任せた以上、その責任は自分で負う。新たなポジションでミスをしようが、ノーサインで走ってアウトになろうが、責めることはなかった。そのうえで選手には自由にプレーさせ、それぞれの個性を見極めながら適材適所で起用する。監督が選手を管理し、ひとつの歯車として動かす野球とは対極にあった。
「近藤さんとすれば、『自分たちで考えてやりなさい』っていうことだったと思います。だから大人の野球というか、今の時代のプロ野球じゃないですか。それを40年前にやっていたわけですから。やっぱり早過ぎたかもしれません」
当時の大洋は、選手一人ひとりの能力は高く、若菜から見ても個性豊かな選手が揃っていた。ただ、「早過ぎた」近藤の方針に戸惑う選手も少なくなかった。1985年は4位、86年も4位と浮上できず、近藤は退任。古葉竹識に監督が代わった87年、広島から移籍した堀場英孝が捕手として多く起用され、若菜の出場機会は減っていった。
「古葉さんの野球に合わなかったのか......。好き嫌いっていうのは指導者にはありますからね、少なくとも。同じような力があれば、好きな選手を使いますよ」
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