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【プロ野球】「普通なら監督批判で罰金ものですよ」 若菜嘉晴が明かす近藤貞雄と選手たちの"不思議な信頼関係" (3ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Yasuyuki Takahashi

【言葉より行動で示した信頼】

 球団の調査によって「噂」も事実無根と判明。大洋の次期監督として招請していた長嶋茂雄に若菜獲得を打診したところ、承諾を得たという。7月1日に入団した若菜は、8月初旬から28試合に出場した。

 しかし、結局「長嶋大洋」は実現せず、翌1984年も関根が続投。チームは最下位に低迷し、そのオフに監督交代となった。そこで就任したのが近藤だった。就任1年目の85年、若菜は自身初の全試合出場を果たしている。

「理解者ですね。関根さんも自由に野球をやらせてくれましたけど、近藤さんからは『おまえがやりたいようにやれ』って言われて。そのうえで『ピッチャーがおかしくなってきたなと思ったら、オレのほうにサインくれ』と。指示されたのはそれだけで、まず話さないですよ。だって、試合終わったらすぐ帰りますもん。シャワーも浴びないで(笑)」

 球場の浴室で近藤が"カラスの行水"だったことは、かねてから選手の間で知られていた。入浴さえせずに帰る姿を見た若菜によれば、「ダンディーだから、自分の裸を人に見せたくないんですよ」とのこと。

 それはともかく、選手との対話がほとんどない監督で、チームはうまく回っていくものなのか。中日監督時代には、十分に対話をしないまま選手を叱責することもあり、特にベテラン勢から反発を招いたとも聞く。

「采配を振るううえで、選手に情がからむのが嫌だったんじゃないですかね。細かい指示はコーチに任せていましたし、選手と一緒にご飯食べて飲んで......というのもまずなかった。ただ、試合ではよく選手をかばって、審判の方に抗議して、暴言吐いて退場食らってますけれど、そこは一番、近藤さんを慕っていくところじゃないですか。監督が自分のために、っていうところがね」

【朝帰りも許した近藤流の選手掌握術】

 1986年5月9日の中日戦。大洋が1点リードで迎えた9回裏、無死一塁の場面で、近藤は野球人生で初めて退場処分を受けた。この時、捕手は若菜、投手は抑えの齊藤明雄[俊寺4]だった。投球後、なぜか球審が「タイム」を宣告したため、バッテリーがすぐに抗議すると、近藤もベンチを飛び出した。

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