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【プロ野球】JFKが変えた野球の常識 岡田彰布が語る勝利哲学「勝ってたら使うのは当たり前やん」 (3ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Yasuyuki Takahashi

「ただ、チームが(勝率)5割をウロチョロしてる時にな、1点差ぐらい負けてる時に、よく勝ちゲームのピッチャー使うやんか。それは絶対にせんかった。3連敗、4連敗している時に、『1点負けてるけど、おまえ行ってくれ』ってなるとあかん。それをやり出すと、もう終わってしまう。ピッチャーは余計に疲れて、だいたいそういう時は、1、2点、取られるんよ」

 勝ちゲームでは連投しても、負けゲームでJFKの登板はなかった。ゲームを拾って、連敗を止めるべく、僅差のビハインドで勝ちゲームの投手を起用するケースは今でもある。だがそれをやると、投手の負担が増え、モチベーションも上がらないと、岡田は理解していた。そこで負けゲームでは桟原将司、橋本健太郎、江草仁貴が登板。役割分担が明確で、同年のブルペンには6人しか入れなかった。

【3人揃い踏みの勝率は8割6分超え】

 最終的に、ウィリアムスは75登板で3勝3敗0セーブ、37ホールド、76回2/3で防御率2.11。藤川は80登板で7勝1敗1セーブ、46ホールド、92回1/3で防御率1.36。久保田は68登板で5勝4敗27セーブ、3ホールド、80回2/3で防御率2.12。

 前年まで実績がなかった藤川が登板数で日本記録(当時)を達成し、最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得した。

 そして、3人が揃い踏みした49試合では39勝6敗4分。勝率は8割6分を超え、同年のチーム87勝のうち4割以上。まさにJFKあってのリーグ優勝だった。

 4連敗したロッテとの日本シリーズでは輝けなかったが、のちに3人とも口を揃え、「ふたりがいたから頑張れた」と言っている。岡田から見ていて、その関係性はどうだったのか。

「1回、藤川をうしろ(抑え)で行った時があったんや。久保田、あんまり調子よくなかったから。2006年の仙台やったと思うけど。そしたら久保田が『監督』って来よって、『なんで僕じゃなかったんですか?』って。次また甲子園戻って来て、9回は久保田やったんやけど、その時、オレ、マウンドに行ったんよ(笑)。あいつびっくりしとったわ。『ええっ?』とか言って。『なんや? おったらあかんのか?』言うて(笑)」

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