「おまえに150キロは出せない」から始まった覚醒 澤村拓一を変えた叱責と中央大ブルペン (3ページ目)
澤村はその年のドラフト1位で巨人に進み、最初は先発ローテーションで、やがて守護神として、さらにはメジャーへも挑戦したのち、ロッテに移籍。日米合わせて15年で59勝79セーブ。「記録より記憶」の代表格みたいな剛腕が、この年明け、みずからの決断で現役生活に幕を下ろした。
引退を決めたあとも、トレーニングや練習を続けていたという。
そういえば、中央大のグラウンドに行くといつも思い出すのが、グラウンド横の長い、長い上り坂。その坂を、繰り返し、繰り返し、何本も駆け上がっていた澤村の「デカいケツ」が、今でもまぶたの裏に焼きついている。
マウンドの演出上だったのだろう、ヒゲを生やしての仏頂面。あえてつくっていたはずの「強面(こわもて)」も、もう必要ないだろう。
数えてみたら、まだ世の中駆け出しの30代じゃないか。
気はやさしくて力持ち。快活でよくしゃべり、よく笑う青年がひとり、新しい世界へ歩み始める。
澤村拓一(さわむら・ひろかず)/1988年4月3日生まれ、栃木県出身。佐野日大高から中央大に進学し、東都大学リーグで最速157キロをマークするなど剛腕として名を馳せる。2010年ドラフト1位で巨人に入団。1年目に11勝を挙げ新人王を受賞。15年からはクローザーに転向し、翌16年に最多セーブのタイトルを獲得した。20年途中にロッテへ移籍。翌21年から米大リーグのレッドソックスでプレーし、2年間で104試合に登板。23年にロッテへ復帰し、25年限りで現役を引退した
著者プロフィール
安倍昌彦 (あべ・まさひこ)
1955年、宮城県生まれ。早稲田大学高等学院野球部から、早稲田大学でも野球部に所属。雑誌『野球小僧』で「流しのブルペンキャッチャー」としてドラフト候補投手のボールを受ける活動を始める。著書に『スカウト』(日刊スポーツ出版社)『流しのブルペンキャッチャーの旅』(白夜書房)『若者が育つということ 監督と大学野球』(日刊スポーツ出版社)など。
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