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【プロ野球】ベイスターズ5年目の超逸材が迷いを越えて覚醒の予感 恩師が信じ続けた才能と原点回帰 (4ページ目)

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro

 佐賀県出身で大分県の専門学校野球部で監督を務めた地縁もあり、まったく無名だった梶原の情報もいち早くつかんでいた。「こいつを育ててみたい」と梶原の才能に惚れ込んだ岸川監督は、大分に何度も通って神奈川大への進学を取りつけた。その後、梶原の存在に気づいたプロスカウトから、岸川監督は「やられたよ」と脱帽されたという。

 私が梶原の存在を知った8年前、岸川監督は真顔でこう語っていた。

「あいつがプロに行けなかったら僕のせい。それくらいの選手だと思っています」

 大学時代、梶原は岸川監督から絶えず「こぢんまりとするな」という言葉をかけられ続けていた。梶原ももちろん、同じ思いを抱いている。

「そうですね、最終的には大きくいきたいです」

【全盛期はこれから】

 オフには柳田悠岐(ソフトバンク)の自主トレに参加し、格好のロールモデルから学んでいる。走攻守のスケール感を思えば、梶原が「師匠」のような大物に進化しても不思議ではない。

 神奈川大からプロに進んで、一番変わったのはどんなところか。そう尋ねると、梶原はこう答えた。

「フィジカル面もですけど、一番は打席のなかでの頭の使い方ですね。大学の時みたいにただ打つだけではなく、根拠を持って打席に臨める回数が増えてきたのかなと」

 大学時代は同じような三振を繰り返したと思ったら、突如ホームランを打つイメージだった。そう伝えると、梶原は「それは今も変わらないかな」と笑い飛ばした。それもまた、梶原の魅力と言い換えられるかもしれない。

「まあ、安定するにこしたことはないので。今季は年間通して波を小さくして、ある程度安定した状態で臨めたらと思います」

 大学でスケール感を育まれ、プロで技術と思考法を学び、成功と試練を味わった。梶原にとってはすべて、必要な手順だったのではないか。そう尋ねると、梶原は首肯してこんな思いを語った。

「大学までは放し飼いみたいなものでしたから(笑)。プロでは最初は知らないことばかりでしたし、勉強になることも多かったです。プロも5年目になりましたけど、自分としてはまだまだ。状態としては悪いわけじゃないですが、詰められる部分はありますから。守備、走塁を含めて成長しないといけない部分もたくさんあります。まだまだ満足はいっていませんね」

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